ああ素晴らしいなぁと思う人々が影を潜めてまだまだたくさんいるなぁと、
この数ヶ月ひしひしと感じることが多かったです。
意図せずにナチュラルに存在していたら長い間単にそうなっていた、、、と言うような方々がこれからはその方々の持つ深い経験と技術と味わいを持って前に出られていくのだろうなぁと個人的には感じてワクワクしています。
人間の素敵さや味わいは苦労の深さとそれを乗り越えて手放した力なのかもしれない、、、としみじみ思いました。
人それぞれだと思いますが、私は。この年齢になってようやく表面的なことから内面的な味わいへの興味に移り変わりをはじめたような気がします。
今は、苦労しないで楽な方へという生き方もあり、私もどちらかというとそういう方が好きですが、
周りを見ていると、苦を深く味わい、かつそれをすっかり手放せていながら、かつ静かに淡々としていると言うような方々の深い佇まいに心打たれます。
好きな方を選ぶかどうかということより、どれだけの苦痛をしても、それをすっかりと手放すことの方が何よりも大事、結局は手放すことを瞬時に繰り返していく、ただそれだけ、、、ということなんだと個人的には思います。
自分のことでは、手放せているようでも、まだ引っかかっていることもたくさんあるな、と思います。
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今日「2025年には人は物を買わなくなる、、、」というタイトルの本をネットで目にしました。
個人的には、もうあまり物を買わなくなっているので驚きませんし、本の内容は見ていないので、
内容と私の思いはきっとずれていると思いますが (笑 )
この流れから行くとそうなるんだろうな、と思います。
その一つとして私は、、、、
最近ますます自分の着る服のことを考えるようになりました。
誰かの思想を着るということが、本当の自分とずれてきたのかもしれない、、、ように感じるようになってきました。
一方で、昔は古着は見るのは好きでしたが、誰かが着ていたものは、知らない人のエネルギーをかぶることのような気がして、古着を着ることができなかったのですが、最近は古着も着るようになりました。意識を変えると不思議と着ることができるのです。
でも、正直をいえば、これが自分にピタッとはまる、という感じでもないけれど、
今の時点では古着が一番しっくりとくるかな、、、
多分時代の流れと古着があっていて、それを皮膚が感じているのだと思います。
とにかく今は持ってるものを着る、これしか答えが見当たりません。
きっともう充分なのだろう。
ますます人が物を買わなくなるということ。
アフガニスタンで尽力され、亡くなった中村医師の動画の中でおっしゃっていたお言葉。
「軍事力だけで武力が強ければ何でもできるのか?
経済が豊かになれば何でもできるのか?
という錯覚をまず世界が捨てることだと思っております。
消費生産を無限大に繰り返さないと成り立たないような世界はありえない。
私達はこの事業を通して多くのことを学んできました。
私達か何でもないと思っているようなことそのものが一つの破局につながっていく、その中でどうしたらいいのか?
ひとつの道筋を私達は見つけつつある気がする。」
消費生産を無駄に繰り返さないと成り立たないような世界はありえない。
このことを噛み締めれば、ものを買う売るということをもっと真剣に考える人が増えるのは当然のことだと思う。