自分とは何か ?をなんのために知りたいのか ?
私は幼少の頃山里で育ち、すぐ近くに友達が住んでいなかったせいで、一人で過ごした時間がとても長く、
道を歩きながら、一人遊びをしながら、ずっとどうして生きているのか ?をその時なりに常に常に思っていた。
その思いは私の半生以上も続いて、振り返ると長ーーいトンネルのようだった。
今になって、ようやくその思いは随分と短縮化され、自分とは何か ?って言っても、無数の星の一つ、そして、
今今今。それだけなんだから、他に何があるの か一体??ということになってきた。
そして最近いつも思うのは、情報の詰まった四角いものに上半身を乗っ取られ過ぎているから、情報と四角いものから脱出しようと。
この先私がどういうことになっていくかは、予想がついている。
一方で、 SNSの発信が苦手ではあったものの、やってみると、あの四角い中に自分の撮った写真をのせて、
自分とは何かを客観的に見るのは面白いことかもと今更思いはじめた。
けれど、やっぱり SNSの電磁波は心身を締め付けてしまうような感覚がある。
静寂の中にいて、すこしだけ静寂を感じると、退屈になってしまい、
そしてまた情報の海に出る。
その繰り返し。
でも、さらに、これより長い静寂の中に入っていくと、一体その先はどうだろうか、