少し前に文化村にミロの個展を観に行きました。
そのときには、あまりよかった感がなく、
それでも2点くらい好みの絵があって、
これはそのコピーです。
特別にミロが好きだったわけでもないし。
この絵はミロ展でみたものの中では気になって、
たまたまコピーが1000円しないくらいで販売していたので、
フレームに入れて飾ることにしました。
この写メでは色が綺麗にみえないのですが、
薄いブルーに近いライトグレーに、
白、赤黄色のコントラストがとてもしっくりときます。
そして、なんとも不思議な絵なので、見入ってしまい、
スーッと静かでありながら、強く入り込んでくるのです。
こういうミロの絵をもっとみたいと探したら、アーティゾンで
もっといいなぁと思うタイプのミロの絵がみつかりました。
それは、はじめてミロが即興で描いた絵なのだそうでした。
その後ミロの抽象画のリトが欲しくなり、探したら、さらにいいなぁと思う絵がみつかりました。
ミロは今またきているのだそうで、かなり高額だったので、あきらめました。
女性が一般的に可愛いと思うようなモチーフの絵も好きですが、
私は心象風景的な少しかわった絵画の波動に強く惹かれます。
美術館で作品を観るとき、美術館の雰囲気も一緒に鑑賞するので、
同じ絵でも、感動するときと、全く感動しない時があります。
クレマチスの丘で見たクートラスは、悲しみが深すぎで、
泣ながらみました。
泣きながら絵をみたのははじめてでしたが、
人がいなかったので、泣きました。
けれど、違う場所でクートラスをみたときには
全く何も感じませんでした。
アートを見て心を動かされたことは何度もあるのですが、
美術館で、頭上突き抜けて昇天するような境地になったことが2回ありました。
とても人の多い展覧会にも関わらず、不思議な体験をしました。
それからアートを観るのがそれまで以上にとても楽しみになりました。
世の中にはいろんなセンスの人がいますよね。
日本でも、最近はセンスが色々、
人の好きなものがそれぞれに当たり前のように違ってきているのがいいなと思います。
コロナになって、スピ系では自分軸という言葉がよく聞かれるようになりました。
ものすごくわかりやすい言葉で、とてもいいなぁと思います。
私は、今までは色々な周りのものに影響を受けすぎていたかもしれませんが、
自分で自分軸を極めていく。
極めて行けばいくほど、
最終的には、
個も静かに軽やかに強くありながらも、
全体に溶けて透明になって、
最終的には自分が無くなる ONENESS状態が起きてくるのかなと想像しています。
今のところ私自身はまだまだ全然極まっていなく
ONENESSにはまだちょっと遠いなと思います。
そのために日々何をして、どう生きるかという
一つ一つの選択があるのだなぁ、、、
人にどう思われても気にならない。
こういう絵を見るとそんな感覚が共鳴します。
「ヒトマネをしてもいいことないよ」
ドラえもん
祐天寺に貼ってあった今日の一言心に深く刻まれました。
シェフだったアンドリューフェラン も
人の真似をしなくなってから、
創造と繋がり、創造が愛だと感じるようになったと
いうようなことをおっしゃっていました。
真似をするのは習うことだと聞いて、
それも勉強と思っていたのですが、
人まねはしないという
自分軸が、今生き方としてはとてもいいなと思います。
今や素敵なアートを表現する知人もたくさんいて、
その度に鑑賞するのがとっても楽しみになりました。
家に飾るものが増えて、暮らしを彩る楽しみや選択が増える時代であるとともに、
個人的にはできるだけシンプルに、もっとガランとスッキリしていたいというのが本音でもあります。