家のすぐ近くの川で泳いでいる4−5歳のころ。
ふりかえると、何をするのも楽しい!!!!と心の底から楽しんでやったことって
あまりなかったかもしれない。
大人に教えられるほとんどのことに、
なんでこんなことするんだろう ??という疑問が常にありました。
川で泳ぐのも、楽しくて泳いだ記憶はなく、
下に足がつかないのに深い場所で泳がされ、飛び込んでみろといわれ、
溺れたり、流されたりしたら死ぬよねーと思い、浮き輪を与えられたときには
とても安心した記憶があります。
++++++++++++
瞑想をしていると神聖な領域に触れているなと感じることが増えています。
これは私の体感なのですが、
そこには数人のうっすらとしたそこはかとなく透明な人が数人いて、
ただそこにゆったりとして、その空間はひたすら静かに広がっています。
服はきているのですが、柔らかいローブのようなもので、色は白や薄いブルー系パープル系のような感じ。
会話はなく、距離をおいて人が少数いるようにみえたりします。
以前にはみんなが集まって輪になり、
火を炊いていて、それは神々の儀式のようにみえました。
とにかく何もなく言葉もない静寂の場所。
これは私自身の見解ですが、
「何にも要らないのかな ?? 」とただ感じました。
服は着ているから服は必要(笑 )
でも、神聖化した人たちは、 (そんな風に見えた )
食べ物さえ食べなくなるのかなぁと感じました。
それからしばらくして、
「これから数年で物質時代は終焉し、
神性時代に入る。物に執着する時代が終わる。
人々がいつまでも欲に執着していると
地球は崩壊していく」
というようなことが書かれてある文章を目にしました。
瞑想中にみえたほとんど何もない領域と、
目にした文章にはシンクロがあり、
これから向かう先が今まで以上に明確化されました。
物への執着が消えていく時代に入ってきているということは、
だいぶ前から感じていて、自分にできる範囲で手放しているつもりでも、
まだまだ右往左往し、物欲冷めやらぬことも自覚していて、
それを無理に無くそうとも思っていなく、
素晴らしいものをみては欲しいと思う。
私自身の見解ですが、
「目に見える美しさや豊かさへの刷り込みから抜けて、
進化した人間の神聖さへとつながる、
一見して何もないような透明な時代に入っていくという今までになかった意識への移行は
人間には魅力的にうつらない、困難なことのように思えてしまうのかもしれない。
それくらい目に見える美しさや豊かさは長い間人々を魅了した。
物に魅了された人々はそのまま物質時代の重たい時空を生きることになるという話も聞いたことがあるけれど、
本当にいいものは時空を超えていると感じることも多い。」
新しい時代はどうなっていくのでしょう。
物の中にも宇宙があって、目に見えない小さな粒子も大きなものも全てつながっているということを
クンルンのマックス氏が言っていたような。
本当に必要なもの、時空を超えている物は残るのでしょう。
私は、自然とつながる時間を増やしていくことで、
無駄な物への執着を自然淘汰していこうという思いです。
もっとすっきりと静寂と喜びに満ち満ちた大人になっていきたい。