P Cファイルがいっぱいになったので、写真を整理しながら久しぶりに10年を振り返ってみました。
結婚した頃からの写真を眺めては断捨離。もちろん人が写っている写真は捨てませんけれど、風景写真はたくさん断捨離しました。
ファイル保存はしているものの、写真は現像しないと手元に残らないかもしれない。そう思うと少しさみしいです。
少し前までは、写真をとるのがとても好きだったのですが、最近目が悪くなって、メガネをかけてもピント合わせが思うようにいかず、写真をとりたいという気持ちが消えてきました。。。 (笑 )あーしたい、こうしたい、、、、そういう気持ちがどんどん消えていきます。
これが老化なのか、瞑想の成果かはわかりませんが、ただ、今生きるだけという心境です。
自分に沸き起こる感情と日々対峙して、自分を浄化するということをただただ毎日しています。瞑想はもはや趣味か特技かも。
未熟な人間なので、それでも、ムラのある感情の波は沸き起こるのです。それも毎日浄化をして、、、という瞑想の日々です。最近は、なかなか変化のない感情をみて、本気で感情的な自立と向き合わねばという気持ちになりました。結果的に、色々な感情を辿っていくと、孤独感と日々対峙するようになりました。 (ちなみに外の状況は全然関係ありません。 )ただただ浄化を続けてきた結果そうなってきたという自然の話です。誰にもある不安感や孤独感。いったいこれはどこからきたか?その正体は何ものかをただただひたすらに観て浄化をしていく。
不安感、孤独感を浄化しようと瞑想をはじめたら、先日は体内から声が聞こえました。
「さあ、一緒に座ろう!!」と。
古代の神話に出てくる部族のような、聖者のようなおじさんたちが、少数みえました。私の意識もその方々と一緒に座らせました。
体内は夜空。満点の星空で、他には何もみえません。ただ、その人たちと一緒に座って瞑想をしていると自分が星々の中に消えていくように感じました。
そんな内的経験をしました。
(今までも、聖者や神様があらわれたことはありますが、その時々浄化してしまうので、それは大げさな話ではありません。長く瞑想をしていると、その時々忘れた頃に色々な内的経験が起こるのですが、それは自然に記憶から消えていきます。
スピ本などを読むと、他者の話なので、たいそう大げさな物語のように感じていたのですが、いざ色々経験すると、自分としては、一瞬の過去の内的体験にすぎませんが、今回は心に残る経験でした。)
自分は一人ではないのだなと感じました。目には見えないけれど、信頼できる仲間がいる。信頼とは、ただこうして黙って一緒に座るだけでいいことなんだと心から感じました。
「さぁ一緒に座ろう」ただそれだけです。なんて素敵な言葉だろう。なんて素敵な経験だろう。
他には何も必要なく、満点の夜空があるだけで、心は満たされました。
もしかしたら、ご先祖さまだったのかもしれません。普段からご先祖代々の方々や、スピリット、ガイドに守られてるなぁと感じることがよくあります。みんなと内側でつながっているのを感じた幸せな経験でした。
目を閉じて瞑想すると、ときにはただただ至福の世界がある。目を開ければ、あれもこれもほしいの世界があって、そうやって今生はいつか終わるのです。 日々ある現実に感謝して、何があっても、何もなくても、今に集中して、嘘のない自分を生きようとあらたに思いました。