20年以上使っていた掃除機は2階の作業場用にして、あらたに掃除機を買いました。
確かに軽いし、吸い取ったゴミの処理も簡単だし、ヘッドは細かく曲がるし、1階と2階の掃除をするのにはとても楽です。
でも、私は、今の家では、掃除機に楽さはさほど求めていなく、重くても、大変でもいいから、すざまじい吸収力を求めていました。
使用してみると、吸収力は期待していたほどではありませんでした。
ためしに今まで使用していた掃除機で腕を吸い取り、あたらしい掃除機で腕を吸い取りましたところ、
今まで20年以上使ってる掃除機の方が強く腕を吸い取りました。。。。。。。
あたらしい掃除機にそんな多少の不満を持っていましたら、
何もしていないのに、あたらしい掃除機が突然ブォーンとなりました。
びっくりです。
しばらくすると、またブォーンと、、、ひとりでに。
怒っているとしか言いようがありません。
おかしいと思って、充電機を入れ直して見たら、今度は全く動かなくなりました。
2年間は取り替え可能ということで、早速交換依頼の電話をして、4−5日であたらしい掃除機が到着することになりました。やれやれ、、、と思っていたら、今度は掃除機が正常さを取り戻していました。
電気の事故が多い方です。
掃除機に引き続き、卓上の時計を見たら止まってました。
これは何かあるな、、、いよいよ変化の時かしら、、、
と思ってよく目を凝らしてみると、時計がひっくり返っていて、文字盤が横になっているだけでした (笑 )
自分のまわりにあるものにもっとコミュニケーションをとろうと思っていた矢先の出来事でした。
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ようやく7月には、家族に会いに田舎に行けるかなと思っていたら、
7月もこのまま過ぎてしまいそうな状況です。
ある方は、ご家族のお葬式ができなくて納骨だけになったとか。
今の状況は、家族との縁が深い人にとってはとても複雑ですが、
生死は日常であるという真理が浮き彫りになっている時なのでしょうか。
私はなんでも簡素が好きなので、大きなお葬式がなくて簡素になるのは、
のぞんでいることでもあります。
コロナがただの風邪のようなものなのか、ウィルスが変異してもっと危険になるのかさえ、
まだ未知な部分もあるのでしょうか ?
私的には、今の死者数から見ると、「コロナはただの風邪」が結構マントラみたいに唱えやすくて気に入っているのですが、
まわりに迷惑をかけてしまってはいけないという思いもあって、とても気をつけています。
外の情報を聞きつつも、まわりに迷惑をかけないように、自分自身のなるべく正しい判断をして動く、
生きる、生き抜くという自覚も強くなりました。
そういう意味ではとてもいい時代だと思うのです。
私は、家族に会いたいと思うけど、家族の中に医療や介護従事者がいれば、
私の行動も拘束される部分もあります。
今までそれが不満だった私にも、冷静に相手の立場もしっかり考えてなるべく正しく動くことを強く求められたりします。
私は、ついつい東京の人口分のウィルス感染者300人とすると、
目黒区と港区で1人だし、死者数はもっと少ないという気楽な考えになりますが、、、
繊細な幾何学が、自然にかつ緻密に作用するように、より精神的に成長しなければ、、、
とも思ってます。