一人の時間ができたので思い切って壁に漆喰を塗ることにした。
今までも旦那さんが少しずつ塗ってはきたものの、リビングは塗る時間がみつからないままあっという間に
4−5年が過ぎた。
今回は、壁にできたいくつもの画鋲の穴を見て、「私がやる!!」とはりきってしまった、、、
養生だけは旦那さんがしっかりとしてくれた。ありがたや。
動画で適当な予習をして一面を塗ったあたりで、旦那さんが仕事から帰宅して早速ダメ出しを受ける。
そしてさらに旦那さんの塗り方を見て勉強。
「無にならないとね」と言われる。
「前世のエジプト時代に漆喰を塗っていたこともあったかもしれない。」
「漆喰といえば、我が故郷にある長八美術館。 長八さんという漆喰塗りの名手と同郷なのだし。」
そんな空想を楽しみつつ、気分を盛り上げて、丸3日間漆喰を塗りながら、空いた時間には大がかりな部屋の整理もはじめた。
過去に気づいて意識したことでも、忘れてしまっていたことばかりで、本を整理している途中に、だれかが書いてある言葉の中からまた思い起こせることはたくさんある。
最近ネットで「部屋は宇宙」という本のタイトルを見て 、「そうだよねーーー」と思いを噛み締めて漆喰塗りの間に、
宇宙部屋の整理を。
古い日記を読み返せば、繰り返し繰り返し「無」になっていると思われる瞬間があり、そこからまた欲とあふれる情報のドロドロしたエネルギーで覆われて、迷い沼にハマってしまった自分を今までも何度も確認してきたはずなのに、今回もまたそのことを確認。
悩みがなくなると日記をつけない日が続き、悩み出すと日記で書いて自分を客観視しようと試みて、
浄化がはじまり自分をあらためていく。
そしてその時々にふさわしい無を体感する。その繰り返し。
人は渦巻き状に螺旋階段を登っていくと言われているので、何度も繰り返すのは常。
美術館でとても高い周波数を感じる作品に出会ったことを忘れないように図録を購入し、持ち帰って数回眺めた後には部屋のインテリアになってしまう。
掃除のたびにそれらを眺めては素晴らしい周波数にふれなおす。
いいと思ったものを擦り切れるまで見つくすような人間になろう。
掃除をすると、過去の記憶の中においてきてしまった高い周波数に触れなおすことができる。
掃除好きとはいえ、抜けてしまう部分が多々あって、キチーンとした印象にはいつも遠いが、
気づきの瞬間がたくさんあるから掃除をするのが大好き。
掃除をしようと思うと、心が静かでありながら、とてもワクワクする。
去年は実家で代々の物と父の遺品を大量に処分した時に、自分のものを残しておいても意味がないことを痛切に感じ、写真や、若い頃からつけている日記の衝動的、感情的な詩はすごいなぁと思いながら処分した。
私が死んだ後に整理をするだれかになるべく迷惑をかけないようにしたいと思う。
そう思って部屋を見渡せば、今もし私が死んだら、少ない荷物とはいえ、それでも結構な荷物をだれかがかたずけなければならない。けれどこれくらいなら、2、3日で終わるかな。
漆喰塗りになれて、後少しのところで漆喰が足りなくなってしまい、ネットで注文するも、時間が勿体無いので、
ハンズへも駆け込んで、ようやく夜のうちに塗り終わった。
簡単にぬれる漆喰なんだけど、均一に塗るのが私には難しく、あらためて旦那さんの塗った漆喰の壁を見て、
尊敬度が上がった。