ここにきて、あらたなおもいで、瞑想の奥深さを感じはじめた。
長い独身生活では、時間がたくさんあって、
日々欠かせないものだった瞑想は、
結婚後は数日に一度程度なっていた。
すると、はじめのうちは、瞑想しなくても何も変わりないように穏やかだと思えていた心境も
つかの間、、、、あれよあれよというまに、グチばかりのどんよりとしたエネルギーの塊になった。
毎日の私の愚痴には旦那さんもとても困った顔をしていたのに気づきつつも、
自分でもどうにもならない状況になった。
そのどんよりとしたエネルギーの重さに耐えきれず、ある日、意を決して、また初心に戻る決意。
27年続けてきた瞑想でも、日々の掃除を怠ると、いとも簡単に逆戻り。
あっという間に瞑想をはじめる前の泥沼状況にもどってしまうことを悟った。
怠けることがどれだけ大変なことになるかを身をもって経験できた。
毎日自分の内側に入り、全てをゼロに戻し、自分とただつながる。
内側の硬さや凝固したエネルギー、執着、怒りや嫉妬、外から持ち帰った他人様のエネルギーの掃除、
これをただ日々やる。
瞑想は私のために私がやる日々のことにつきるのだけれど、
自分を浄化するということが、
結果的に地球の浄化につながることは
誰に教えられたわけでもなく、瞑想をはじめて私自身が感じたこと。
地球を浄化することは、楽しければいいということでも、
食べたいものを食べればいいとか、
やりたいことをやればいいということとはちょっと違うと私自身は思っていて、
それはずっと変わらない。
スピ界でよく言われているワクワクすることをするというのは、
言葉にするととても飛びつきやすくて良いかんじだけど、
解釈の仕方の違いによって、ものすごくブレていってしまうし、
自分の精神の螺旋状の成長で今どこにいて、どこに進もうとしているかを客観的に自覚するのが大事。
都合よく解釈して誤認してしまう人間の快楽欲求の誇大化も、じゅうぶんに地球を汚染している。
私たちって、生きてるだけで地球を汚してしまう生き物。
このことを子供の頃から知ってたら、もう少し欲に対して謙虚に生きて、
自然破壊もこんな風にはなっていなかったかもしれない。
地球を浄化するということは、命を与えられた人間一人一人が、責任を持って自分を浄化することと繋がっている。
それができれば、地球や自然や人間以外の生命の多くはまともに救われると思う。
でも、それがとっても難しい!!!っていうブレた生き方を、
わたしも含めてほとんどの人間は選択しているんだなぁ。
私もまだまだ快楽欲求に振り回されているブレた人。
黙して自分の浄化に勤めておられる方々は、皆とても静かにひっそりとたくさん存在されている。
わかっているけど、やめられないことはあって、それはもう瞑想して瞑想して瞑想して、、、
無駄なことにひとつずつ気づいて、今世最大限に浄化された透明な自分自身と繋がっていくこと。
終わりはないけれど。
日々の訓練で一歩一歩成長し、浄化のレベルを上げていくことは、命を与えられた恩を返すこと。
砂糖や小麦粉、添加物、、毒性のものを食べれば、自分の中のおかしな刺激中枢がどんどん誇大化していき、
快楽や欲望の餌食になっていく。
相当冷静に自分をみないと食生活で自分がおかしくなっていることには気づけない。
疲れている時ほど、おかしなものを食べている。
実は、8割近くの人々に動物霊が憑依していて、誇大欲求に振り回されていると言われている。
名声や成功が手に入るほど、どんよりとしておかしくなる人が多いのは、
ほとんどの場合狐や狸のような憑依霊が原因とも言われている。
成功や名声を手に入れた人は、瞑想や浄化に興味を持つと、
自分の憑き物がとれてしまい、成功から遠ざかってしまうことを潜在的に知っている方々も
おられるのではないか。。。
こういうことを外でいうと、圧を感じることもある。
それでも、瞑想や浄化の方に興味を持つ人々も増えているのも感じること。
全ての人がそうではないかもしれないけれど、
わたしの25年の菜食経験から思うことは、
肉を食べない生活は、一般的な名声や成功と違う回路を歩くこと。
10年目くらいで、もしかして、、、と思って、これでいいのか ?と心が揺れて、
明確に菜食の意味がわかったのは15年くらいしてからだった。
ここで、菜食をやめてしまう人も多いかもしれないけれど、
わたしは、体が、肉食に戻りたいと思わなかった。
成功や名声もよいと思うし、わたしももっとお金が欲しいと思うけど (笑 )
でも、それより先に魂の浄化をして本来の純粋な自分と繋がりたいという
意識の方が継続して強く、浄化されたその先の純化された磁力をとても信用しているから、
瞑想やヨガを続けられている。
自分を浄化していくことにこそ、喜びや至福の境地があることを一旦知ると、
浄化の探求は生きる目的で、本当の楽しみでもあることを感じられるようになるし、
浄化されて純化磁力が増して行くと、必要なものは引き寄せられることも瞑想の成果として、多少経験している。
身体によくない美味しいものを食べたいとか、たくさんあるのに欲しいとか、、、
冷静な選別ができないまま欲求を満たすことが、真に気持ち良いものではないことは自覚しているのに、
どうでもいいものに引き寄せられて、ああ、まだまだだなぁと身にしみる。
そういう選択の繰り返しが重たくて凝固したドロドロしているエネルギーになる。
瞑想や静かな境地を目指すのは、
自分の中の神聖な部分に触れることで、
外側の快楽には、これ以上のことはみつからない。
それは時間をかけてコツコツと自分のために自分でしていくことでしか得られない心境で、
その心境には終わりがなく、何にもかえられない本当に静かで素晴らしいこと。
その心境の奥にもう一歩進むために、
食をかえることはとても大事なのだと、
私は思っていて、これは私自身が体感したことなので、他の人と意見が違っても当然。
このコロナ化、より一層他者との距離ができて、自分の内側へつながる時間が増えて、
私には瞑想が本当に自分の中心軸にあるのをしみじみ悟った。
27年の瞑想していても、残念ながら人間的な成長の成果は全く見られないけれど (涙 )
外側にある何よりも、瞑想が自分の中心におかれていたんだなということは実感できた。
何を食べるかをもっと冷静に考えることも浄化のはじまりだということも
もっとたくさんの人に知ってもらえたらいいなと思う。
そして、それはストイックという言葉一言で終わらせてしまう人も多いけれど、、、
自分を浄化する方法を自分でみつけて進歩することは、
誰かと比べたり、競争したりすることが一切なく、
自分のペースで自分の内側とつながっていく何よりも楽しいこと。
本当の楽しみ、自己探求は、他者から見てパッとするようなことではないけれど、
自分自身の中で一旦はじまってしまうと、その興味は、外にある何にもかえがたいものになって行く。
そうやって進んでいくと、最終的に外側の生活はきっと自給自足になっていく。
このことは、子供の頃から感じていることだけど、
現状では私たちは、ベランダでほんの少量の野菜を育てる程度、
無理のない範囲で有機野菜を選んで買って、自分たちで料理してバランスよく食べ、
湧き水を飲む程度で、まだ自給自足生活には至ってない。
自分で作って自分で食べる。これができて瞑想して、
最小限のゴミしかださないうそのない仕事をして成果をだす。
最終的には、そういう環境に身を置きたい。
私たちは、私たちのペースでゆっくりと進んでいて、
田舎では、旦那さんの努力が実を結び、
今日9月30日に「尾嶝味噌研究所」の申請許可が✨!!!✨
おりました♡
この許可が降りたときに、
とっても健やかな光が、
私たちのもとに降りてきて、
母と旦那さんと3人でバンザイをした。
本当に身体に良いことを自分の家から
発信できることは何よりも気持ちいい。
尾嶝味噌研究所は、両親がヤマモモジャムの加工所にしていた離れの小屋。
両親が退職後の余力で、地域振興のためにとヤマモモの木をたくさん植えて、
ヤマモモを加工してジャムやジュースを作り販売しようとしていたのだけど、
ヤマモモってとても難しい果実で、小柄な高齢の母が、ジャムやジュースを
大きなお鍋で作る姿は本当に大変そうだった。
毎年お歳暮代わりに配って、販売までの実現はできなかった場所。
その場所を旦那さんが、尾嶝味噌研究所に実現できたことは、
母も、亡父も本当によろこんでいると思う。
伊豆の「尾嶝味噌研究所」からは、
体にも心にも良い夢がひろがりそうで
それが今からとても楽しみとなり、
旦那さんにはほんとに感謝✨
旦那さんに感謝すると、旦那さんを紹介してくれた友人への感謝。
旦那さんを紹介してくれた友人はわたしの中では、ご先祖さま級✨
その友人を紹介してくれた亡き友人への感謝、その友人を紹介してくれた、、、、
と永遠に感謝がこみ上げる。
本当にどうもありがとう!!!!!!✨