誕生日をすぎる頃から、自分の中にはまた小さな気づきが起きています。
人生をおおよそ60年近く生かされ、なんて小さくうすーい60年近く(まだあと数年はあるけど、、 )を
必死で生きてきたんだろうかとしみじみと思ってます。
その時々水に溺れるくらいな気持ちで、大きな波を一生懸命に乗り越えてきたつもりだったけど、
結果的には60年に近い年月を生きても、なんでもない自分であることをひしひしと感じるようになっていて、
そんな今世の自分を、さらに静かにもっともっと奥深くに入っていって浸ろう、知ろう、わかろうというあらたな気持ちも
芽生えています。
わたしの生命には小さな頃からうっすらと膜のようなものがかかっていて、
それをぶち破って外に出ると、
外部からの攻撃にあうということが必ず起きていました。 (多分過去生のカルマ ?)
年齢とともに、その膜を破ろうという気持ちも次第に薄くなり、今は、膜のあっち側には行かないほうがいいというような
気持ちになって、それからというもの、不安や怒りはいっぺんされ、ほとんど平和な生活がはじまりました。
だからこそなのか、外側に意識が向くことがどんどん減って。
内側へ、もっと内側へ、自分の奥へ奥へという思いが強く、
瞑想だけは長く続けてこれたように思います。
いままではいろんな外部の情報に自分を当てはめるようにして、
自分を探すということを色々してきたのですが、
50代に入って、年齢のせいも大いにあるけど、
外の情報も次第に必要なくなってきました。
それは、外の情報に自分を当てはめようと分析分類をしても、
それに頭を使うことが面倒になったことや、
究極的にはどこにも当てはまらないと思ったことと、
「無」「静寂」という感覚が芽生えはじめてきてからは、
ただ日々があって、
他には何もないという感触になってきたからなのです。
コロナの情報も、様々な党の主張もそれぞれにあり、
マスクをするしないとか、ワクチンを打つ打たないとか、
そういったこと全てはその人それぞれのことになる。
マスクをして予防できる人もいるだろうし、それよりも外していたほうが身体的に良いと思う人もいるだろうし、
ワクチンを打って亡くなる方、病気が悪化する方もいるし、反対に、
ワクチンを打ってよかったと思う方もおられる。
マスクをしないでいてコロナにならない人もいるし、
コロナになって、やっぱりもっと予防をしっかりしようと思う方もいるし。
どれが正解かは目に見えないことと自分のつながりだから結局は誰かの意見が
自分には当てはまらないなとコロナを通じてさらに強く感じはじめました。
コロナの件に関しては、
本当にいろんな意見がありますが、その人の健康状態によるところもあって
それはその人にしかわからないことだから、
自分で判断するしかない。
こういった目に見えないウィルスが増えていることで、
ますます目に見えない世界とどうやって向き合うか、
究極的には生と死、健康、肉体と魂のことを
今まで以上に深く思うことができるようになっているように思えます。
時に自分がぶれ、迷路に迷うこともあり、そんな時には情報も少しだけ必要になります。
修正をする時には、例えばブッダやイエスや、聖者などが書き記した、文章を少し読むと
また自分の中に入っていけるようになって。
そして、時々スピ本やスピ動画に触れて情報を楽しむ、参考にしています。
それも日々少しだけあると充分に修正ができるようになりました。
生活においても、今は部屋の中を自分の世界に作ることが流行ですが、
素敵なものをたくさん集めている人はセンス良く見応えはあって参考になるし、
素敵だなぁと思いとても憧れます。
でも、最近、本当に素晴らしい!!とわたしが思わず手を叩いたのは、
古道具屋や、何かであるもので何とか工夫して、自分の空間を作っている
職人さんの部屋のような唯一無二のその人の無理のない空間。
これはどこどこの椅子で、これはどこどこのテーブルですとか、そういうことが関係ない空間でした。
人に魅せるために作った空間ではなく、自分のために、ただ自分が仕事をしやすいように、
そのためにできた空間。
そんな空間を見た時に素晴らしい!!と思ったのです。
そんな中、わたしは何が好きだろうか、、、、と思うと、わたしは、木が好きだなぁと思うのです。
葉や花や石、貝殻などなど、、自然界には色々あるのですが、わたしは流木が一番好きだな。
木工や木彫りにはとても惹かれます。
自分の内側へ入っていくただただ自分のための
聖なる空間を浄化して行くことも楽しみの一つです。
もっともっと奥へ、静かな空間へと向かいはじめているような12月。