これからの世の中
立春を節目にして人々の意識は真っ二つに別れはじめたという方々もいる。
どうでしょうか ?
二つというのは、ポジティブとネガティブ ??
ということでもないほど世の中は複雑にからみ、こじれているように感じます。
スピ系では、波動を高く持ち批判や否定をやめて行く、気持ちの浄化をして行く、
ワクワクすることを選択することが大事と、今まで以上に言われはじめました。
ワクワクを選ぶというスピ系の発信は、
私が20代の頃からバシャールが伝えはじめたことではありますが、
並木さんの出現により、これがまた再燃しているのでしょう。
私は、瞑想しているにも関わらず、つい数年前までは批判と否定の嵐の塊みたいになりがちで、その癖がなかなか取れませんでした。
仕事で無理していたし、振り返ると50代になるまでは、勢いよく頑張る年齢だったということもあると思います。
瞑想をしても、ヨガをしても、色々学んでも、持って生まれた性質の根本にある頑固さはなかなか変えられないなぁとこの年齢になって改めて思った部分もあります。 (でも、瞑想を続けることによって,自分を客観視して律する、制御することは簡単にできるようになりました。 )
コロナになって人との距離ができて、自分自身の内側に溜まっていた毒気を、またあらためて
浄化しようと思い、瞑想にもあらたな気持ちで取り組むようになりました。
今まではバラバラな時間帯でしたが、夜、ほぼ決まった時間からきちんと瞑想をするように。
他には、友人に教えていただいた並木さんの発信は、とてもわかりやすくて、
ネガティブな癖を浄化するのに、たくさんヒントをいただきました。
また、時間があるということが自分自身の精神にとってこれほど良いことだと痛感したのはコロナ渦のおかげでありました。
これから、どんなふうに意識が2極化して行くのでしょうか。
ある方の発信では、これから先は、物質次元が終わると書かれていました。
物質的な繁栄を動かしたのも神の仕組みであるけれど、
それを終わらせて行くのもまた神の仕組みであるとも。
その中で、私たちは、自分の精神を浄化して、謙虚な姿勢で学び、
今起きていることを受け止めながら、新しい時代に向けて
物欲を浄化して行くことが必要なのだそう。
様々な2極か説が言われていますが、
私自身は、少し前に、何もない空間に神聖な人々が数人でただただ静かにいるというビジョンを見たので、
この発信はしっくりときました。
物にしがみつく時代が終わる。
物は重たい波動です。
いくら良いものでも。
あればあったでいいけど、別になくてもいいという感覚。
若い人たちは物から卒業する感覚を持ちながら生まれ育っている人たちも多く、
簡素なものに囲まれて生活する感性に移行しはじめている人がたくさんいますよね。
私は物欲世代の中でぎゅうぎゅうに揉まれつつ、
心の中ではそんなに物って必要 ?という風にそういう文化に重荷を感じつつ、
それでも物に魅了されるという時代の風潮に流されて長く生きてきたので、
いざとなれば何もいらないこともできるのに、
時間があると、あれ欲しい、これ欲しいという癖が染み付いていて
まだまだ抜けません。
どこに時代が方向を向けたかということでいえば、
物欲を卒業して行くというところに向かって動いて行くのでしょうか。
いろんな波長があるので、人それぞれにあった波長を選択して、
その波長にのっとって生きて行く時代でもあると思うのです。
ですが、人々が物欲から卒業しないと時代が変わらない。
これ以上人間が欲を持ちすぎて、
買いすぎ、食べ過ぎ、名声欲、成功欲、性欲、、、と
欲の奴隷になり続ければ、
地球はますます破壊されるというのは真実ではないでしょうか。
欲に翻弄されている人々には獣の憑依があるとよく聞きます。
多すぎる欲を浄化して最小限にして軽くなっていくということが新しい時代、
進化した人間の姿と私はずっと思い続けています。
欲の中毒から抜けて軽くなる。
自分が中毒だったと自覚できる人はどれくらいいるのかわかりませんが、、、、
私も、何か日々欲しいとか、
やりたいことについて、
立ち止まりながらよく眺め、
時間をかけるようにしています。
思ったら即行動と同時に、立ち止まりよく眺めて必要か不必要かを
選択して行くことの両方が必要な気がしています。
何もなくても生きて死んで行く。
それが最善最良の方法なのか、
生きているうちに、自分の表現を自由にして行く経験が必要なのか、、、
どちらも経験であると思いつつ、
日々自分自身の浄化をしていけば、
不必要さはなくなるとも感じています。
とはいえ、
まだまだやりたいことも、理想の生活もあるようにも
感じています
が、が、が、
その理想というのが古い時代のしみついた塊なのかも!!
と思い、とても面倒なようでもあるのですが、
何もないという新しい時代の価値観と、必要なものは与えられる、ということを最善にして、
日々向かいたいと思ってます。