最近消化できたこと。
自らの内側の日々の思いが、あの世にそのまま転写されるということ。
もしかしたら、それはあの世ではなくてパラレルと言われるもう一つの世界の自分にかもしれない。
何を持っている、成功、名誉、知識、身分、など、、、資本主義的な評価が本当に関係ないもう一つの意識の世界。
一瞬一瞬に自分の中に抱く感情そのもの。
それは現実では、誰にも見えはしないはずのもの。
いくら内側に憎しみや妬みや強欲があったとしても、
外側をいっぱいに笑顔にして、綺麗な言葉を並べていれば誰にも見えないと思っていた内心。
誰にもみえないはずの本性、内面がとてもとても刻銘にあの世に、もうひとつの世界に存在する私の魂には
きれいに転写されている。
ただひたすら内側の浄化しかない。
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話変わって。。。
というより、このことを今日浄化しようと思う話。
宗教入信者の方々を否定するわけではありません。
あくまでも私の思いです。
こんな時代だからなのかふと感じました。
哲学や思想が好きなジャンルなので、宗教に入らずとも、宗教から学べることはたくさんあります。最近は、神道とか原始仏教から。
でも、例えば、何々教だということを言わずにその宗教の原理を伝えられることがある場合には、知らず知らずに洗脳されているような気がします。最初から堂々と自分は何教だ、この教えは何教の教えだと伝えるべきだと思う。宗教は関係ないと言いながら、結局は宗教の教えを人に教育すると、その時点で信用が失われる。なぜ自分の大切にしている宗教を隠すのでしょうか。ということと、わたしは宗教家には興味がない。
特にその教祖的な人の周りにいるのは、私自身はあわない。誰かの作ったものから学ぶことはすごく良いし、本から学ぶことはあっても、自分以外の誰かを盲信することは自分にはない世界観。それが本物の仏陀だったらどうかわからないけど、そこが、自分の納得できる本物というか、元祖それそのものではない限り。
誰かの教えをそのまんまというのは、自分の中心からずれていくのがよくわかる。一次的に学ぶことが必要だと思う気持ちには賛成。私も学んでも学んでも学ぶのは好き。
けれど、宗教的な教えは他者が作ったものだから、それが本当かどうかどうやってわかるの ??と常に思う。日月示神は、読み終えたあとに311が起きてしまったから、特別に信憑性を感じ、興味深く数冊読んでいるのですが、知れば知るほど宗教と予言は一体になっているようで、自然の変化や破壊と再生のサイクルを言っているようにおもうのですが、それは必然のようにもおもうのです。
本当にそのおおもとの例えば仏陀が教えを説いたとしても、それを広めていく間に少しずつ都合よく変わっていってしまう部分は、必要ないなと思う。
そしてそのおおもとではないのにかかわらず、自分が全てを教えていると思い込んだりするのはどうかなと思う。そして宗派を受けつぐような宗教家は、環境に恵まれていて、お金を集めていい暮らしをする癖が抜けないこともあるのかなとも思ったりします。
こんな時代だからか、そういうことも思ったり、考えたりすることも増えたかもしれない。
宗教に入らずとも、本や瞑想動画からも多く学べるし、今は SNSがあるから、いろんな宗教や思想哲学から、自分に合う思想を簡単に学べるようになったのはすごい。
最近話したことがひとりでに動画に出てくることがある。これ盗聴 ?????シンクロ ????とどっちだろう。。。と思うことが多々あるのです。
色々なことを思うけど、動画で言えば、やっぱり原始仏教はいいなぁと思う。とてもしっくりとくるし、学ぶことが多いのです。
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2日間続けて NHKオンデマンドでプレミアムシアターを見ました。母も夢中で見ていました。
まず、ウィーン・フィル シェーンブルン 夏の夜のコンサート2023を。今日は、パリ祭コンサートを。
パリ祭が最高によかったのです!!あらためてパリの素敵さを感じました。今更ですが、さすが芸術の都PARIS!!だなぁ。と。パリに3年くらい住みたい!!30代はパリに毎年2回通って、パリ気分満載だったけど、パリかぶれも徐々にとれ、日本を強く意識するようになって神社参りばかりするようになって、、、笑。
今日クラッシックコンサートパリ祭見てから、パリブーム再燃。住みたい!!住もうかな。