[ 煩悩即菩提 ]
よく読む伊勢白山道さん Blogで読んだ言葉。
年のせいか、こういう言葉が心にふかーく染み入るようになり、今まで大好きだった海外のスピ系より神仏の教えが心にしっくりくるようになりました。
昔は同じ言葉を聞いていても、かんぜんに通り過ぎていたなぁ。
ぼんのうそくぼさつ
すごくいい!!!✨と一人気分が上がるのです 笑
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誰にも聞こえるはずのない、自分の心の中、心の声、見えないようにしている精神状態が、1つも漏らされることなく、死後の世界に転写される。それをパラレルと呼ぶのではないかと思います。
死ぬ前に、現実の経験、実績とは関係のない、むしろ、この心の中で思ったことが一つ残らずに全てあぶり出されるとも言われていますよね。
これを思うと私は、あたりまえなのですが、本当にまだまだ浄化が果てしないなぁと思います。
資本主義に操作された現実を信じるか、
それとは関係のない心の中の浄化に集中するか。
どちらかの道にわれて行くとも言われていますし、もう全部嘘だとも。
どうにせよ、私が思うのは、自分の中に存在する神性意識を磨いて行くことで、今世の死に際も穏やかになるのかなぁ。
神性意識というと神々しいですが、本当の無理のない自分のことなのだと思ってます。
私は、前よりも透聴が発達してきているのを感じます。
私がというよりも、つながっている人には聞こえている。
以前には、透聴が不確かな部分が多いなぁと思っていたのですが、最近確だなと思う部分が増えています。
話さずとも聞きあっているというようなことが以前よりもずっと頻繁に起きるようになっている。
自分の心のうちも話さずともよまれているなぁ 「あれ ??」「おやおやっ ??」
と思う機会がとても多くなったのを感じています。
ただテレパシー的なことを簡単に言葉にしてしまうと、次元が3次元以下になってしまうようにも感じます。
それは欲を出しすぎると、目に見えないとても大切な力を失ってしまうような感覚ととても似ているなと思います。
以前は光を発していたものが、欲のせいで光を失い、そして人はそれに気づかずに、裸の王様のようになってしまうような。そんな状況がこの世の中であって、必ずしも現実がうまくいっていることが幸せだとも言えない。むしろ、うまくいっていない、何もできない、力のない状態こそが自由であり、大いなるものに守られている状態でもあるのかもしれない。
なのになぜ人はそんなに力んで自分にないものをもっと手に入れようと思うのだろうか。
これこそが、資本主義の魔法。この魔法解いちゃうと、力みなく自分の世界をただ楽しんで生きるようになるのかも。
この生き方している人、実はひっそりとかもしれないけれど、意外とたくさんいますよね。
これはあくまでも私の感じていることなのですが。、、
つながっているかそうでないかも、そんなに安易に分けられるものでもなくて、つながっていることもあれば、そうではないこともあり、実はみなつながっているように最終的にはなっているのだと私はなんとなくそう思います。