先日も書いたのですが、母が去年くらいから頻繁に「北海道に行きたい、おばあちゃんに会いたい」と言うようになり、「暖かいうちに北海道に行こうか。」と何度も旦那さんと相談したのだけど、北海道の一体どこへ行けば良いかと思うと、なかなか踏ん切りがつきません。
札幌で1、2泊して、美味しいご飯を食べて帰ってくれば空気を吸うだけで気がすむんじゃないか ?とも考えたり。でも、今の母の体では、大冒険になる。母の状況では、常識ならば、飛行機になんて乗せないでしょう。
でも、私も旦那さんも普通に考えるようなことより、母の余生なのだから、行きたいと思う場所に連れて行ってあげたほうがいいと思っていたのです。
以前 YOUTUBEで余命宣告を受けた母くらいの年齢のお父さんが海外に行きたいと言うので、息子が思い切って連れて行ったら、元気になったと言う動画が心に残っていました。人間はこうしてはダメ、ああしないほうがいいなどとなるよりも、むしろしたいことをしたほうが良いのだと思った。
で、母が北海道に行きたいと言うので、思い切って北海道の親戚にお手紙を書いておばあちゃんの住んでいた場所などを聞いてみると、戸籍をとって送ってくれて、関東にお墓が移されていることもわかり、母が今東京にいる意味とご縁を感じたことは前のブログにも書いたのですが、、、
昨夜は母が寝言で「おばあちゃーん」と言って相当会いたいのだろう。
お墓参りをすれば、随分気持ちが落ち着くだろう。
今回、戸籍って面白いなとしみじみと思いました。
父方の戸籍は4−5代前まで見たことがあるのだけど、母方を知るきっかけがありませんでした。
母方で知っていたのは、母の父親まで。
なので、この機に、母方のおばあちゃんおじいちゃんまでの戸籍を眺めてみると、ますます自分という存在を小さく感じ、こうなってくると、自分という個もむしろあってないようなものだという気持ちが強くなりました。
こうして、自分のご先祖をどんどんたどって行けば果てしなく知らない人たちと血が繋がっている。
なんでも知るということは、自分のエゴから解放されて行くことと比例しているのかもしれない。
私が友人の紹介でタイミングよく旦那さんと出会って結婚した確率も、なんともご縁なのだなぁとをしみじみと思い、このご縁に感謝して、ありがたく大切にしようとあらためて思うのでした。
この牧野さんの絵がとても気に入って大磯の個展に伺ったのです。
とてものんびりとしたいい場所でした。
牧野さんの個展では、ポスターの絵があるとは限らないことが多いけれど、今回は似た雰囲気の絵もありました。
けれど、いまは絵を買う余裕がなく、このポスターがとても好きなので、この絵を旦那さんに綺麗にフレームに収めてもらいました。
個展の時に読んだ牧野さんの4月と10月という画家のノートに書いてあった牧野さんの文章に大爆笑したのを機に、旦那さんが持っている牧野さんの本を次から次へと読み始めました。
時々エッセイがツボに入りすぎて、お腹を抱えて笑いながら本を読むのは本当に久しぶりのことです。