大人のおしゃれ手帖
2018年の6月号、5月7日発売の
吉田羊さんが表紙の号でした。
後ろの方のページにある「わたしの履歴書」というページに掲載された写真です。
実家に帰ってくるとこの雑誌が置いてあるのが目につき、ついついまた開きます
わたしは10年ほどまえに思いたって大学に通いはじめ、無事卒業したのですが、その話を聞きたいと編集のkさんから連絡があって、このページに掲載していただくことになりました。
なんとなく軽返事でうけてしまって、後からとても後悔しましたが、、、母親がよろこんでくれたので、よかったなと思いとても感謝しています。
「大学は、行きたくなったときに自分で行く」と言って、高校生の時に大学進学をしなかったのですが、、、気づいたら、本当にこの年齢になってから、自分で学費払って大学に行っていたことは笑い話です。大学に通いはじめてから、昔そう言ったのを思い出しました。
実際に44.5歳ころに通いはじめたのですが、行ってみて思ったのは、わたしは、自分が高校生の時に言った言葉とおり、色々経験してから、大学に来てよかった!と思いました。
哲学科だったから、ということもあって、経験したあとに、勉強すると、現実と授業がリンクすることがたくさんあって、悩んでいたことが、授業によって解けたりすることもありました。
あと、哲学科の先生方が、科目によって、そのオーラをドンピシャと身にまとっているのがおもしろかった。これは、若いころのわたしにはわからなかった。
卒業したら、内容は全く記憶から消え、ただ経験したことしかのこりませんでした。笑
やりたいことがはっきりしていたらたしかに早く専門的なことを学んだ方がいいし、または、大学に行かなくても全く問題ないわけですが、。
でも、好きなことを学ぶことはやっぱりとても楽しいです❣️
わたしは、執着がうすいからか、学んだことにも執着がなく、色々学んで楽しんだらあとはほとんど忘れてしまいます。
何を学んだかをプロフィールに全部記録している方や仕事に役だてている方をみると、わたしもそういうこと記録しておけばよかった!とあとになって思ったこともありますが、そういうこともあんまりしていなあ。
わたしにとっては、仕事は仕事だし、学ぶことは、趣味でもあるし、内省なのです。
大学に通っていたころは、いつになく字もたくさん書いて、本もたくさん読んで、最後には論文も書きました。
論文は、「日本人(わたし)の霊性の根源にふれる」というタイトルでした。
30歳ころはじめてセドナに行った道すがら、鈴木大拙さんらの施設の前を通って、、、前を一瞬車で通りすぎただけで…わたしは男だったら、こういうところにいたかも、と思ったほど、シンパシーを感じました。
そういう感触が、時を経て、大学に通って、いろんな本を読んで、論文書いたあとに、とても感慨深く感じました。
長いあいだ趣味のスピリチュアルな世界は、職業の洋服となかなか現実ではむすびつきませんでしたが、、、
わたしの内ではむすびついて離れず、こうして、その2つをめぐりながら生きるのがわたしの人生のバランスなんだなあとおもえるようになりました。
旦那さんは、実家で味噌仕込み終わりました。
今回の麹は伊豆でお味噌やさんをしているおばあちゃんが作った、わたしの意識を変化させた麹です。
だんなさんは、写真と味噌という、スピリチュアルと服、よりも聞いたことない組み合わせのサイクルにはまっています^_^
ひとりひとり違っていい時代にようやくなってきたんだなあと思ってます。
先人の方々が狭い狭い自由な道をリレーしながら作ってくださってきて、
それはいつからはじまったかわかりません。
わたしの知るかぎりの、前にアセンションといわれた時は、つい最近で世の中はさほどかわらず、、、でも、そのときにも少し変化はあって、、、
今またアセンションと言われていて、個人個人がきめてアセンションを選ぶと言われていて、今までにないたくさんの人がアセンションするそうです。
こうして、時代が変わって、やっと生きやすくなっていくことも、先人たちの作ってくれた細くてながーい意識の道があったからなのをしみじみ感じます。
何の本読んでも、要点は昔の人が書いたことと基本はかわらない。
まえにヴィパサナー瞑想中にヴィジョンをみました。
瞑想中のわたしが、黒い額縁で囲われていて、わたしは、その黒い額が無い方がいいと思ったのです。
そのヴィジョンの意味も、今は自分のなかで明確になりました。
昔は普遍の真理のまわりにとても厳しい額縁、確固とした規則があって、、、今はその額縁がなくてもよい時代になった。
時代とともに自由がひろがって額縁がなくても光になれる時代、でも、普遍の真理は何万年前とかわらず、宇宙意識とつながっているとわたしはぼんやり感じています。