先日旦那さんを通じて、ある方からの情報で知りました。
マガジンハウスのGINZAでお世話になっていた淀川美代子さんが旅立たれたこと。
ある日淀川さんの白いユリの写真のインスタが出てきて、思わずお友達申請をしようかどうしようかと迷いつつ、
迷惑を考えてやめておいたのが、今思うと私への何かの知らせのようでした。
淀川さんと出会ったのは、私が22、3歳の頃、マガジンハウスのスタイリストさんのアシスタントをしていた時です。
お世話になっていたスタイリストさんは、淀川さんとは親友でしたので、23、4歳の頃から、事務所で淀川さんからの電話に度々対応させてただいたりしておりました。
それからだいぶ時が経ち、新しい事務所に入った時。
それまで続いていたファッションのお仕事が一段落して、さて、これからどうしようか、、、というときに、マネージャーさんと「 GINZAのお仕事がしたい」と話をしていました。
その数日後に、マネージャーさんと表参道のアンデルセンでランチをしていた時に、淀川さんが近くのテーブルに座っていたのでした。
あまりのタイミングに !!!!!でした。
そして、ランチの帰り際に、マネージャーさんとともに、淀川さんにご挨拶をさせていただきました。
その時に私が持っていた白いバッグを淀川さんに褒めていただいて、「そのバッグ可愛いわねぇ」と。
今でもそのバッグはよく覚えています。
最後に、「今度ブック見せて」と、お言葉をいただき、話は驚くほどトントン拍子。
それから、マネージャーさんのお力添えのおかげで、 GINZAでのお仕事が少しずつはじまりました。
淀川さんは、とても著名で実力のある編集者であるのに、昔から知っているということもあってなのか、、、
私は、普通は到底言えないようなことでも、面と向かって思ったことを正直に話すことができました。
そのころの私は今よりももっと血気盛んであったから、何か言われると、「いやこれはこう思います!!」などと、
言いたいことを全て言っていたような記憶があります。
けれど、淀川さんは、スタッフを家族のように受け止めてくれていたからか、元々の器の大きさがそうさせてくれていたのか、そんな生意気な私も受け入れていただけていたような気がします。
淀川さんは、褒める時、怒る時のバランスが神がかっていて、私は、その中で自由に泳がせていただきました。
今振り返っても、私にとって、 GINZAでするスタイリングは一番楽しかった。
これも全ては、懐の深い淀川さんと編集者の方々のお陰だったのだなぁと後になってしみじみと感じました。
そして、私は、それ以前からやっていた瞑想やヨガ、ベジタリアンへと内面の移行を進めつつ、
今のようにスピを公表しにくい時代でありながらも、スピ系の興味も理解をしていただけて、
面白がっていただけていました。
そうしながらも、私は、モードや流行に疑問を感じるようになり、
徐々にファッション誌から遠ざかっていきました。
その時も、忙しい淀川さんに自分の本音をお話をさせていただくことができました。
GINZAをやめてからも、時折表参道や展示会ですれ違ったりすると、ちゃんと止まって話をしていただき、
結婚した時にも、淀川さんにご連絡をさせていただいていて、
そうすると、淀川さんは必ず電話やメールを返信してくださる方でした。
気さくで、上下関係ない人間味のあるところが信頼できて、私は淀川さんが大好きでした。
多くの方々がそうであるように、私にとっても淀川さんは、スタイリスト30年の生活の中でも、
特に本当にお世話になった方のお一人でした。
言葉にするのは難しい、、、
スタイリスト生活30年、振り返ると苦しいことの方が断然多かったし、正直、いまひとつ、どうかなぁ、、、と、
自分自身の力不足ゆえに、腑に落ちないと思う仕事の方がたくさんあった中、GINZAでは、絵を書くような気持ちで自由にスタイリングをさせていただけたことが多かった。数少ない本当に楽しかった!!と言えるお仕事ができる場所を与えていただいた方でした。
淀川さん、本当に本当にありがとうございました。いつまでも感謝しています♡