写真は旦那さんが撮影してくれました。
夕方仕事から戻ってきた旦那さんが母を目黒川沿いのお花見に連れて行ってくれました。
人が多いかとすこし心配しましたが、外れた場所で時間帯も夕方早めだったので、人とすれ違う距離も心配なく、
足早にお花見をしました。
去年のお花見からまだ半年くらいしかすぎていないような、、、気がします。
早いなぁ。
介護の援助していただいている皆様、母に関わってくださっている皆様、お友達、全ての皆様へ。
感謝しています。ありがとうございます♡
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東京に来てはじめて、母がテーブルに飾ってあったお花を活け直しました。
とても器用だった母が、痴呆になってから全く手を動かさなくなってしまいましたが、調子が出て来たようで驚きました。
私がネットで調べものをしていると、
「他人を信用しすぎるな。中立でいなさい。」と
真顔で言われました。
「ごもっとも!!!!!✨ありがとう!!!!」
ボケているのに、真理を突然ついてくる母。
母を選んで生まれてきたのが偶然に近い確率だとしても、今こうして日々一緒に過ごすことで
母から学ぶことばかり。
私が両親から生まれてくるのを選んだのは、こういうことを学ぶためだったのだと、
今になってますます納得。
私を私に導いてくれる何よりの存在なのは母だった。
人それぞれなのだと思うけれど、
私の私に対しての見解では、母の子宮から生まれたのだから、
そこに戻っていくことが自分に戻るということと直接繋がっているというなんとも
シンプルな真理。
こういう世の中になり、本当にたくさんの人がいろんなことを話てくださりとてもとてもありがたく
参考にさせていただきながら日々浄化をしています。
方法を学ぶのはとてもいいことだし、実際長い間方法を学びながら浄化ができているのだけれど、
全てが自分にとっての真理かどうかは判断しない。
どちらにも寄らず自分をあらためていく姿勢は、私にとって自分の中心からブレずに今にいることだなと
母の強い言葉の響きが私をドスンと体の中心に清冽させてくれました。
真理は一つだという感覚はあるけれど、だれかについて行きすぎるとか、
言葉で強烈に説得する姿勢に知らず知らずのうちに洗脳されてしまい自分が消えていくような方法には、
昔ながらの三角形のピラミッド型を感じてしまう。
どうなのでしょう。
それを疑問に思うことさえ私がまだまだな証拠。
本当に自分と繋がってしまったら、外への疑問も言葉も何もなくなってしまうのだ。