ショートステイから戻ってきた母に、母の日のお花をプレゼント。
母が「ありがとう」と涙ぐんだ。
昨日はある作家さんのところにお邪魔してお食事会。
作家さんと親の介護の話で盛り上がった。
ご家族の介護をする中で、
ご家族が、もう生命がなくなるかどうか、、、という瀬戸際の時に、
アートに触れて、体が強く動いたのだそう。
それをみることができて、「アートは心を動かせるんだ」と確信が持てたのだそう。
その経験を経て、物作りへの思いが一層深まって、今でもその時のことを思い出しながら物を作ることがあるという
とてもすてきなお話を伺えた。
お金で施設に預け、亡くなって、さよならをいって終わる親子関係もある。
私も、コロナがなければ、そうなっていたかもしれない。
コロナになって、今までの生き方を全部原初に戻したい衝動に駆られ、
施設に任せて終わるのではなく、「私が親をみる」ことに心が大きく動いた。
今では、母をショートステイに預けている間に、外を出歩き自分のことをして、
母が戻ってきたら、また介護に没頭するという繰り返し。
外の世界に刺激を受けると、物欲や周りのこと、これからのことで、意識が中心から一気にブレて、
頭の中がたちまち雑念でいっぱいになる。
母の介護をしていると、自分の意識が、自分の中心にすっと戻り、
周波数がグンと高くなり、胸の中心が暖かくなるのがわかるようになった。
そんな中作家さんの介護のお話を伺って、同じような経験に共感。
「親の介護はできればして、亡くなる時には看取ったほうがいいですよ。」とおっしゃった。
「自分が自分が」だった意識が、人のためへの意識にシフトする。
日々一緒にいる中で、その瞬間瞬間に親と子の今までになかったようなふれあいや感動がある。
痴呆だと、ほとんどはとりとめのない話なのだけど、その人なりの記憶の時系列の中を漂って、
会話にしているのだと聞いた。それは母を見ていて私も感じることだった。
だからその時系列の中に一緒に入って自分も遊ぶように会話を楽しむと
それは宇宙人のような、とても霊的な会話にもなる。
時には、とても的をついた冷静な意見を言われてドキりとすることもある。
痴呆になると、純度がますので、何かをごまかしたりすれば、すぐに見破られる。
正直に向き合って、生きることをヘルプする。
母の世代でも、思っていた以上にクリエィティブなものが大好き。
だから、高齢者でも死ぬ間際にもアートに心を動かすということは良くわかる。
そのお話をしてくださった作家さんは、そういう経験に触れたからこそ、やりたいこともあるのだそう。
人のために生きる。
困っている人を助けるために生きる。
ヨガナンダも、自分の中に神を招き入れるために一番大事なことだと書いてあったような気がする。
お話を伺ったおかげで、ますます介護を楽しもうと思えてきた。