私たち夫婦の初入水は5月か6月ごろ。
海水に入ると心が澄んでいく。
田舎に戻るときには海に行くようにしている。
夏になってからは、駐車料が発生するので、
夕方4時頃にきて簡単に水浴びをして帰宅というのが恒例。
最近になって、
14時から駐車場の値段が千円になると知り、今月は3日間連続で15時前に海に到着して、
いつもよりゆっくりとした。
砂浜で空向きになってうたた寝すると、違う時空に誘われる。
3日連続で海に入った最終日の今日は、
「全ては自分」ということを忘れかけモヤモヤしていた自分をとりもどせた。
「あっ全部自分だ」ということを思い出し、
胸に引っかかっていたものがあっという間にとれて
すっきり解放された。
海洋セラピーおそるべし!!
私たちがいつもいく浜はとてものんびりとしていて土曜日日曜日も平和な空気が流れていた。
海辺に何もないのもきっといいのだと思う。
SHIPSのスタッフが夕方ゴミ拾いを呼びかけると3分の2以上の人たちがぞろぞろと動きだし
ゴミを拾う。
思ってた以上にゴミ拾いする人がたくさんいて嬉しくなった。
人として当たり前だし、こうじゃなければおかしいわけだけど、
こういうことができない其処彼処へゴミを捨てて行く人間がたくさんいるから
環境汚染も増えている。
でも、この浜にいる方々は大丈夫。そう思った。
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子供の頃は、親に連れられて知り合いのおばあちゃん家に行くと、
大抵が、簡素でとてもすっきりとした暮らしをしていて、
畑や庭は整えられて、いつもきれいだなぁと感心することが多かった。
おばあちゃんもいつもスッキリとしていて、
その簡素さが、私の中では今まで見たものの中で最もな美しさとしていまも焼きついている。
子供の頃にそういう美しさの価値観を身につけることができて
本当によかったと思い、両親にとても感謝している。
ほかには、地位も名誉のあるクリスチャンの先生のお家は、
広尾の大きな学校の敷地の中にあり、あるときにお邪魔する機会をいただいた。
その先生は、驚くほど簡素で小さなお部屋の生活をされていた。
広尾というからどれほどのお屋敷かと思いきや、想像と違いすぎてショッキングだった。
業界の中で長く働いていると、成功している人々は
贅沢をする素敵なセンスがあって、それを当たり前と思ってしまうようになっている。
そういう生活をしなければと思い込んでいた私にとって、
簡素さや質素さの中にあって、
美しい生き方をされている先生の価値観に出会えたことも運命だったと思う。
確かに素敵で贅沢な暮らしもいいと思うし、あれも欲しいこれもいいは止まらないし、
私の場合は、それも生きる楽しみのエネルギーなのだけど、
今の所、簡素美それ以上の静寂と美しさを、贅沢な生活の中に見たことはまだない。
田舎の家で庭仕事を黙々とすると、
それは禅修行のように集中できてとても心地よく、
お昼になると食事をつくって食べる。
夕方に海に行って水浴びをすると心身があらわれてスッキリとする。
夜はスムージーに冷奴、そしていい時間にお風呂に入って寝る。
こういうシンプルな生活をしていたら、
何かを突然欲する、
例えば、あの家具がほしい、あんな家に住みたいという気持ちが全く湧かなくなる。
物に囚われる意識が消え、
家の中がガランとしていても心はとても満たされている。
なるほどなぁ。こういうことなんだな。と今日あらためて思ったりした。
でも、そのすぐ後に、洋服が欲しくなったりする矛盾が私の中にはあるのだ (笑 )
もっともっと自分を知ろう。
誰かを真似することのない、
尽きない欲望に振り回されすぎない、
でも欲望を吟味することを楽しめるような
自分に見合った自分の価値観を。
そう思った。
昨夜、タタミと障子のある和室で旦那さんとある仕事のことを
あーでもないこうでもないと打ち合わせをしているときに、
なんだかこの2人の様子、「まるでちびまる子の生活みたい」と吹き出して笑ったら、
旦那さんが「これくらいがいいんだよ」と言った。
これくらいの塩梅を知っている旦那さんの言葉にハッとさせられた。
質素さや簡素さの中にこそ、満たされた心があるのだろう。
田舎の家はスッキリしているからそう思う。
そうは言っても東京の家には物が溢れていて、
それも明らかに自分なのです。