2階の寝室も撮影してみました。なんだろうか。今日はそんな気分でした。
色々写して客観的に見てみようと思うようになりました。
実はずっと引っ越し熱が再燃しています。
私に反して、私が引越しを熱望するほどに、旦那さんは自分の部屋を今までになく改装しはじめている (笑 )
今は母の介護もあるし、引っ越すのは無謀なので、もう少し家の中を変化させて行こうかなぁと検討しています。
寝室はスッキリ物がなく、私分のクローゼットがついているだけ。
作品は平澤まり子さんの。
静かで落ち着いていて、とても気に入っています。
そして、リヴィング兼自分の部屋を母の寝室側からも撮影してみる。
それにしても、このお家、歪んでいるのが丸わかり。 (笑 )
チェストはもう20年近く変わらずに使っていて、古いからといって買え代えようとは思わない。
木肌のものが好き。どちらかというとマンションよりも古い家が好き。
都心ならヴィンテージマンションで広々していて、母の部屋が和室で日当たりが良く、
ベランダから公園の木々がみえる少しだけ高いところに住みたい。
でも、間取りや広さを考えると、今の家の方が広くていいので、
今はこの部屋をどう変化させたらいいかなぁと最近いつも考えています。
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SNSや YOUTUBEでもいろんな情報を自分なりに取り入れて学べる時代になり、ますます急速な変化を感じます。
一人一人が個々の発信で自分の思いや考えやアートを他者に伝えることができることも、安易のようだけど、面白いなと。
今まで敬遠していたのですが、そう思えるようになりました。
いつか一人1冊の雑誌時代がくると思っていたけれど、ある意味ではそんな感じなのかなぁ。
でも、アセンションとは、外に向かうのではないし、上に進むのではない。
実は自分の内側のさらに奥の奥に入っていくことだと私は感じています。
人が瞑想を求めるようにもなっていると感じます。
外を向いていたら如何にもこうにも、同じところを堂々巡りして時が過ぎていく。
ただ生活しているだけでは、感情の解消ができなくなっているのも感じています。
変化をしてこそ進化する。
今までの方法でただ続けるというのは古い次元の法則なのだとも聞きました。
古い法則を信じて生き続ける方法もあるのだと思うのです。
私もそういう法則に違和感がたくさんあって、自分自身も自分のペースで変化させています。
特に狭い日本、都心にいると特に強く感じますが、
人間には、他者を見て、他者と比べるという癖がすごくあるなと思う。
なぜ自分だけこうなんだろうとか、逆もあって、私はこんなに成功しているのに、あの人はなぜ成功できないの ?とか。
また、友人がこんな風になったという状況をみて、「私にもそんなこと簡単にできる!!」と戦い挑むということもよく起きる。
周りに自分の憧れカタログを見つけては、次は私もこうなろう、私もこうしようというような真似る生き方を繰り返してしまう。
これを繰り返していると自分という核からブレてしまう。
いつも他者、周りに何かを見つける癖 ?
自分の内側に入ろうとできない状態、周りと戦って勝とうとする癖。
それは自分からブレたままの生き方。
ぶれていればぶれているほど、余計なものを買い、余計なゴミを出す。
頑張っているほど、力んでいるほど、変化ができないほど、不要なゴミをたくさん出す。
そう思う部分があって、自分をいつも点検中です。
私は、自分の体調や興味の他に、自分が外と戦うことをやめたくて、肉をやめたのですが、
食べ物を変えることは、思っている以上に自分の意識を変化させると実感があります。
瞑想も食の変化も時間はかかるけど、すぐに結果が出ることを望むのは、焦っている証拠。
いくら時間がかかっても気にならない。
今生の魂のやるべきことにしっかり取り組み、そしてそれをたんたんと遂行していく。
私はまだまだゴミを出す人間で、ぶれているときほどゴミが余計に出ていることを感じます。
この年齢になっておもうのは、周りがうまくいっていても、そうでなくてもそんなことは自分には永遠に関係ない。
魂は永遠に生き続ける、本当の自分のペースで魂を清めて進めばいい!!
急がなきゃと思う人は急げばいい。それが魂の声なら。
他者に憧れてこういう人になりたいとひたすらに思っていたことがありました。
20代ー30代の半ばくらいは、そんな思いが強かったなぁ。
いつもいいなぁと誰かのことを思って真似するような生きかただったとおもいます。
自分が分からなかったから、いつもさまよっていました。
瞑想をはじめ10年くらい経過した頃から、他者への憧れもいいなぁも消えていきました。
憧れって多分心のスキに入ってくる憑依みたいなものだと思います。
私自身は、瞬間瞬間の決断はものすごく早い。
手放すのも得意。
でも、大きな流れの中で何かを形にするとか、自分がどうしたいかを現実に落とし込むのに時間がかっています。
50代に入り、いろんなことを手放して、それ以降形にならないということが不思議でしたが、誰かが作った物質主義社会の職業のなかに自分を探してもみつかるわけがないと最近気づきました。
どこにもあてはまらないからこそ本当の自分なんだ!ということをひしひしと感じるようになりました。
私は、何かを形にすることや、結果を出して評価されるために生まれてきたのではなく、前世で果たせなかった精神性をもう一度やり直すために生まれたので、精神的な部分で、浄化し、成長し、まっすぐになることが目的。
自分が本当にどう生きたいかは、自分自身で本当にわかるまで自分と対話し続けあきらめないこと。
それに何年費やしてもいいのではないか な。自分の今生のことは他の誰にもわからないこと。
例えば10年20年かかっても、それが自分ならそれでいいと思っています。
内側の奥の奥に新たな時代の鍵がある。
時代はもっともっと内側に向いて静かに果てしなく広がっていくと思います。
瞑想ができない人は、瞑想するときに何よりも自分の内側に入ることが喜びだと思って
瞑想をはじめるのがいいと思います。