「瞑想って迷走 ?瞑想って何 ?」
と質問いただいた。
瞑想する人は、確かにときに迷走もしやすいタイプなのかもしれない。
自分を思うと確かにそう思うこともあった。
飲みの席の空気の中では、瞑想についてまったく話すことができなくて、「色々あるんですよ」というのが精一杯だった。
落ち着いて瞑想ってなんだろうかと言葉にできるように思いを巡らせた。
これは私の小さな経験であるけれど、
昔、瞑想とは縁のない人と話していて感じたことがあった。
彼女は、昔昔の恋愛をずっと引きずっていた。その恋愛の話の男性は、昔私も好きだった人で、結局彼女とくっついて終わったという私にとっては痛い話だったけれど、私にはその人のことをなぜ好きだったのかも思い出せないほど自分の中から記憶がなくなっていたので、彼女がその恋愛をいまだに引きずっていることに随分と驚いたことがあった。
ほかにも、10年20年前のことなのに「あなたあの時私にこう言ったでしょ」とか、話すこと全てが過去の話だったりすると、心の中で、「瞑想するとそれ全部消えるのに」と思うことがあります。
そう言った古い記憶や感情を人は無意識のうちに長い間持ち続けている。エネルギー的にいえば、過去は背後にくっついています。瞑想を30歳からはじめた私は、過去のことをあまり覚えていられなくなりました。
思い出そうと思えば思い出せるけど、その頃に抱えていた悲しみや憎しみ楽しみや喜びさえ強く引きずるということがほとんどないのです。それと同時に過去を自分で大切にしまっておくということもしなくりました。
長く続けている日記や写真、いろいろなものを「えいっ」と捨ててしまう。
瞑想をはじめてから、すべてを「今」だけにして生きて行きたいという思いは日に日に強くなっています。
それから、人間が未熟だからなのか、その未熟さを自分で治す、あらためて行くという気持ちが強く、全て自分だということと正面から向き合い、それを浄化することは以前よりだいぶ簡単にできるようになりました。
誰にも見えない誰にもわからない自分だけの階段をコツコツと登っていく様な感覚があります。
それが私にとっての瞑想。
外側にいる人は、思っている以上に自分の内側のことはわかりません。内側と外側の違いの明白さを経験できることも瞑想の醍醐味かもしれません。
瞑想が深まるほど、ほぼ「今」とか「今日」しかなくなります。
感覚が鋭敏になるので、自分を大切に思わない人や、尊重できない人からは自然に離れていくこともにもいっさい恐れなく、友達が少なくても特別それを問題とも思いません。逆に誰かと怒りあったりしても、瞑想をして浄化すると、情念は消え、次にどこか出会ったときにはアッサリ許すことができるのも瞑想の素晴らしさです。
瞑想か迷走かというほどに未熟な私は、時々自分を見失うことや、2−3日前のことを引きずることもあると、ざわざわ、イライラし、それをまた直視して瞑想で浄化していく。
瞑想を日々繰り返しているおかげで、脳内も空、シーンと静まり返っている日々が圧倒的に増えています。
長く続けていると、古いドロドロした土壁の様なものが、意識からゴロゴロと崩れ落ちる様な感覚が数年に一度は起き、自分の中に長い間あった毒素や剣がとれて、真の自分が前よりも明るく純粋に剥き出しになってきます。
これも、小さな階段を一歩ずつ登る様な細やかさで進行していくし、今も浄化が進行中なので、今自分が完璧で絶好調に明るく純粋かといったら、まだまだ浄化は永遠に続きます。私にある毒素や剣というのは、今世のものではなくて前世から持ち越したものでもあることも感じています。
古いエネルギーが自然に崩れ取れることを何度も経験すると、瞑想を続ける大切さを実感できるようになるのです。
けれど、人と比較できるものではないし、瞑想をしているから、偉い人ですとか、尊敬するような人格で完璧な人間ですとか、けして怒りませんとか、苦しくありませんとか、現実で成功していますとかそういった目に見えて説明のできるものでもないから外からみているととてもわかりにくい理解できないものなのだと思うのです。瞑想は内側を浄化するもので、内側が汚れたまま外側をよくみせることや、周りの人によくみせるだけのこととも違います。
瞑想は内的な経験で、自分の永遠に続く魂とつながること、自分を自分が信用できる様になること。
それを目指して、内省し、浄化を繰り返す。日々全てをリセットする。
静けさや空につながることを目指すこと。
それから、瞑想する前からだけど、基本的に嘘はつかないです。
嘘つくとカルマになって戻ることがよくわかっているからなのです。
正直でなければ、カルマになるのです。あと、欲もほどほどなら良いと思うのですが、無駄な欲を出すと、無駄な欲がカルマになる。普通にいきてるだけだと、ただ、嫌なことあったと思うだけかもしれません。自分の嘘や無駄な欲の行い=カルマだと気づけないかもしれません。
瞑想して行くと、自分の行いや思いのひとつひとつに対して、戻ってくる現象、そういったことも経験として実にリアルに感じられるようになります。瞑想して浄化が進むと、カルマが戻ってくるのも早くなります。
瞑想、迷走笑を続けていると、意識が明確になり、心が静かになる。徐々にではあるけれど、感情にムラや裏表がなくなり、結果的に、無駄なものを引き寄せなくなる。
瞑想をして、心をしずめ、空に近づくことは、環境のために、実は一番良いのではないか と思います
無駄を引き寄せることは心が永遠に欲の奴隷のように動の状態で無駄に動き続けることと一致している。
環境汚染や、温暖化などが問題になっているけれど、私は瞑想をするようになって、自分の魂を浄化し、自らが鎮まっていくこと、意識や感情を整理していくことが一番の問題解決なのでないかと思うようになったのですが、実のところは、まだまだ未熟すぎて、私自身はそこまで到達していません。