伊豆に滞在中、久しぶりに旦那さんと P Cで何本かの映画をたて続けにみました。
旦那さんのオススメをいろいろ検討。わたしは、最初から入っていけないとダメなので、
何本かは途中で中止。スーッと入っていけたのは◎「イコライザー」、
まだみていなかった◎「アメリカンユートピア」
イコライザーが面白かったので、「イコライザー2」も。2はいまひとつでした。。。
それから◎「サウンドオブメタル 聞こえるということ」。
「イコライザー」は面白かった。
アメリカの雑多な街やアパートの風景から始まる映画はとても好きで、はじめから映画の中に入りやすかったのです。
そしてイコライザーの中で出てきた「見えない人間」という本も早速注文しました。
アメリカンユートピアは、デイヴィッドバーンの舞台をスパイクリーが監督して映画にしたもので、
評判が良かったので気になっていました。
デイヴィッドバーンは70歳なのだそうだけど、タフ!!声もとてもよく出ていてびっくり!!
そしてとてもチャーミング。
民族テクノ、オルタナティブテクノ?、、、そんな音楽。
歌がうまいし、演出も踊りも、最後ライブが終わって自転車で帰る映像も可愛かった。
サウンドオブメタル、聞こえるということは、最初は若者のバイオレンスの多い映画かなと思いつつ、、、
ストーリーが進んでいくうちに、ここで人は裏切るよね、そしてここで悲劇が起こるよね、、、
というバイオレンスの方には向かわず、
優しさや安堵感を感じるストーリーの展開がとても新鮮で心地よかった。
最後に主人公が、高額かけて耳を聞こえるようにつけた装置をはずして、
聞こえないことを味わうシーンがあって、
聞こえないことで感じる静寂な場面がとても深く心に残る映画でした。
この映画の優しい展開を味わってから、
映画と直接の脈略はないのですが、
「もう春だねー」「そうだねー」とか
「今日は少し寒いよねー」「あーほんとだねー」というような
人との何でもない会話の中にある優しい時間ていいなぁと思うようになりました。
わたしは以前風邪を引いた時にしばらく臭覚がなかった経験があり、
その時に、人間の感覚機能の精密さに改めて気づき感動したことと、
感覚機能が働かない不完全さから生み出される
優しさを感じたことがありました。
それはとても短い経験ではありましたが、貴重な経験でしたので、
この映画の中で色々なことを感じることがあり、
聞こえない静寂についても深く感じました。
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立春を超えてから、人とのご縁や出会いの中でのやりとりによって、
自分自身がより自分への理解を深めているのを感じています。
いつ死ぬかはわからないけれど、旅立たれる方が増えていて、
死という感覚がとてもリアルになってきた年齢です。
それと同時に生きることが多幸感に包まれるようになったなぁと思うのです。
これは、ひとえに旦那さんの理解と優しさや周りの友人や先輩たちのおかげであります。
この間林友子さんの個展に伺って、友子さんは10年以上前にお父様の介護を一人でされ、
最後にお父様をみとられ、その時のことがいまだに制作の時に沸き起こるのだそうです。
その介護のことを綴られた文章をギャラリーで拝読させていただきました。
最初はお父様も友子さんもイライラする。最初は苦しかったけれど、
友子さんは自分をちいさくして、お父様の軸に寄り添い、お父さんの世界に
入っていく。そうしていくと、苦しみはちぢんで、ささやかな喜びが積み重なり、
お二人の皮膚感覚のコミュニケーションが始まり、多幸感が増していく。
そしてそれは友子さんにとって透明な時間になる。
それから、なくなる少し前までの間に、趣味だったカメラに触れ、
手伝ったもらいシャッターをおし、現像された写真をみて、見違えるように生気を取り戻されたのだそう。
それをみて、友子さんは、生存欲求にはアートの力もあることを感じたのだそうです。
また、お父様との皮膚感覚のふれあいを通し、皮膚研究についてこう書かれていました。
「人類は120万年前に体毛を失い、体毛を失うことで毛づくろいというコミュニケーションを失う。
体毛を失ってから言葉を得るまでの100万年の間、人はコミュニケーション装置としての機能を果たしていたのは、
皮膚ではないか ?
皮膚の温度によって、他者への意識に違いが出る。また、ボトックスの皮膚注入による弛緩によって
情動の活動が低下する。
皮膚への圧力と拒食症の関係など。
他には光の違いも認識し、回復速度に影響する。
聴覚についても肌を露出したほうが高周波を聞きとる数値が高くなる」
「皮膚感覚と人間のこころ」より引用
父の認知症により倫理的やりとりは失ったが、それゆえに皮膚感覚のコミュニケーションを得、
それが多幸感につながったのではないか。。。。
林友子さんの個展「触」より抜粋させていただきました。
かなり端折って書いてしまいましたが、介護の良い部分をとても見事に明確に表された文章に感動しました。
それにしても、今ボトックスや美白、脱毛、手術で綺麗になるなど、、、色々なものがあります。
わたしも若い頃美白や脱毛を経験しています。
こういう機械による電気ショックは人の感覚や人間の健康的な感触をものすごく麻痺させるだろうなぁと
後になり、しみじみ感じていました。
話変わり、
母の介護をはじめてから、わたしも、今までにない浄化が進んでいて、
母と3人暮らしをするようになってから、今までにない透明な時間、
多幸感を味わうようになりました。
ただ、年齢もあるのか、体力不足で、母の深夜のトイレや起き上がりなどに力がいるため、
寝不足になり、しっかりとした介護ができなくなるため、施設にも、
旦那さんにもたくさん助けてもらい、何とかやっているような状態です。
体力的にきついなーと思うことも多いので、友人に介護の相談をされると、
あまりおススメはしません。
この年齢からの介護は、体力的に自信がないと大変です。
それに、お父さんの介護は、体が大きいので、難しいかもしれない。
介護施設の方が安全だと思います。
お母さんの体の大きさ、自分の年齢、身体の大きさや体力にもよりますし、
家の環境、部屋の配置や換気、そして家族や兄弟の応援があるかないかも大事です。
それを考えても、今住んでいる家は古い家で万全とは言い難いのすが、
介護に適した環境だったことを改めて思います。
一人で施設に入っている方が気楽な人もたくさんいますし、
その方が安全な部分も多いかもしれません。
色々な状況があるので、介護を絶対にしなければならないという考えは
わたしには全くありません。
母も施設にいる思いでいたのです。
わたしは、両親が弱りはじめてから。
実家に戻り老いていく母を見るたび、胸が締め付けられるようになり、
帰りの車中で大泣きをするようになりました。
コロナになった時に「原初に戻りたい!!」と心の中の叫びがして、
原始的な気持ちを取り戻したいと強く感じました。
「母を看取ることは、とても原始的な行為であるのに、このまま人任せにしていていいのか」と
思い、施設入所後の母を東京に連れてくる決断をしました。
それからの日々は今までの生活と全く違う感触になりました。
母の子宮から出てきたのだなぁという奇跡を今になってまじまじと感じることができています。
母も軽度の認知症で、日によって独特の世界の中にいるのですが、その世界がとてもユニークで、
わたしはそういう母のユニークさが大好きで、母の世界に入ってよく一緒に遊び、
二人でゲラゲラと笑いあいます。
母の好きな動画、嫌いな動画、好きなもの、反応するものなどを観察すると、
昭和一桁生まれだから、こういう映画が好きでしょ、こういうの見るでしょ、、という枠に
全く当てはまらず、驚くほど、私たちのいる世界を楽しみ、理解できるのです。
音楽も私たちが好んで聴く音楽を一緒に聞きますし、スピ動画も一緒に見ます。
絵も見ると強く反応します。
好き嫌いはとてもはっきりしていますが、同時代に生きているような感覚があります。
洋服に関しても、昔から着ていたコートを指差して
「それはちょっといまは合わないから違うのにする」とか、、、
「ベレー帽がかぶりたい」「その色はちょっと強すぎる」とか、
旦那さんの格好もとてもきになるようで、よく観察していますし、
いろんなことを言います。
お母さんてこんなに面白い人だったんだなぁと改めて思うのです。
こういう母を選んで生まれてきたことをこの年齢になり、
感じることができてよかったですし、母とのふれあいから、
今までになく自分を深くほりさげることができるようになり、
それにより、自分への理解も深まっているのです。
林友子さんの個展に伺ったことで、また力をいただき、
母への向き合い方や自分との向き合い方にも発見がありました。
ありがとうございました。