昨日は久しぶりに会った友人と介護の話をした。
親がこうなって、突然自分の価値観がひっくり返るように変わるとは若い頃は思いもよらなかったし、
今までの興味や欲望はとおーい昔のことのようになった。
これ私だけの話かと思いきや、友達も同じようなことを話してくれた。
親の介護世代の友人とは親がそうなってはじめてわかるいろんな話ができて、
今までとは違う関係ができるのも、この年齢ならでは。
親との関係性は、本人でなければわからない。
介護をするのがいいか、必要ないかも人それぞれ。
親との関係は薄く、別の強い目的のために生まれている人もいっぱいいるわけだから、
それぞれが判断して対処していけばそれでいいと思っている。
いくら親であっても、一度もあわずにお互いにあの世に旅立っていく家族がいてもそれも不思議でもないと思う。
私の場合は、全てにおいてとても冷めた一面もあるのに、
母がボケはじめたのをみるたびに、胸の奥が今までになくズキューンと音を立て、
母と別れるたび大泣きをして、
コロナになり、原始に戻りたいと強く思うようになり、
介護しようと思い立ちました。
介護をはじめてから、心の中で母に思ったことに、それがしっかりと聞こえているかのように、
母が返答をしてくるという不思議な瞬間が何度もあります。
今、母は精神的に透明だから、全てが読めて、全てが聞こえるのだろうと思います。
人間は浄化されつくすと全てがわかるようになるのだと思う。
言葉にしなくても通じているんだなと思うことが日常的にありすぎて。
お互いに溜まった感情をぶちまけて、あたりあうことも、度々あるけれど。
そういう感情をぶちまけた瞬間に母は忘れ、
私は何もできない母に謝り、そのあとに、恨みつらみは何もなく、
母を子供のように優しく抱きしめ背中をさするようにしています。
母のようにおおらかな性格だったらなぁとよく思うけれど、
私には母のようなおおらかさと器用さは不思議なほどに全くありません。
母との関係性というのは、私にとっては人間関係の理想かな。
これくらい全ての人と信頼しあって、許し合っていたらどんなに良いだろうか。
最近の昼間。ベッドで寝ている母との会話
私「なぜお母さんくらいの年齢になると、みんなボケてしまうんだろうね。原因はなんだろうね ?」
母「お母さんはね、もう頭がバカになったのよ。」
私「なんでバカになるんだろう。砂糖かな ?甘いものの食べ過ぎなのかな ?働きすぎたのかな ?」
母「だってさぁ、そんなに真面目に生きてるだけじゃつまらないじゃない。」
私「じゃぁ真面目なのがいやでみんなそうなるのかなぁ ?」
母「そうよー」
痴呆なんだけど、会話ができるときには、マトを得た、かつ面白い返答をくれる母。
母は大学を出て、長年管理栄養士として働いていた真面目な公務員一筋の人生だったのだけど、
私の思想、精神的、スピ系の話も否定されたことは一度もありません。
両親にも目に見えない世界を、判断する能力は昔からあるようでした。
なんでも話して理解してくれる面白い面もあり、
定年後はパッチワークの講師やら手芸全般洋服作り、植物や野菜を育てる、蜂の養蜂、そして
数字にも比較的強く、、、手先も器用で本当にいろんなことができるとても幾何学的な母だった。
なるほど、本来自由であるべき人間が、生活のため、お金のために、小さな檻に入れられ黙々と真面目に
何十年も自分を抑えて働いてきたストレスが固まって、それゆえにそれをぶち壊すために
痴呆になって、過去の嫌なことを全て忘れてしまいたいという子供がえりのような姿になるのかもしれない。
母の言うことも痴呆の原因のひとつに確かにあるのだろう。
的を得た母の返答を聞いて、母はそれほどボケてないのかも。と思いました。
母は、乳がん術後25年以上は立っているけど、
10年以上前からガン再発していたようで、本人も胸の痛みを気にして度々私にも
「痛いの触ってみて、」と訴えていた。
術後の切開の痛みだと思いこんでいたし、
田舎で大きな病院に連れて行くのは大変な状況だったので、そのままになっていました。
東京に母が来てから、気をつけてみると、確かに片側の乳房の突起が目立つようになっていました。
東京で検査を受けると、お医者さんには、
「あと3−4年は大丈夫だけど、ここから出血してくると面倒になりますよ」と言われ、
私は、3−4年大丈夫なら焦ることもないと思いました。
母を東京に連れてきたときには、めんどくさいほど躁鬱もひどく荒れていました。
場所が変わって、私の下手な介護に慣れなかったこともあったと思うけど、
薬の飲みすぎのせい &施設にいたので、たくさんの高齢の他者との毎日の関わりもあって、
いろんなものにとりつかれているのも感じ、それを取り払うために思いつく全てのことをしてきました。
私は長年セラピーやエネルギーワークの勉強をして、哲学を学び (簡単に笑 )、
26年瞑想、ヨガも (今は自宅で)して、肉は25年以上食べていない。
ベジタリアン歴15年、月に2−3回魚をとるようになり10数年。
それゆえに、感覚が鋭敏になるように日々心がけた生活をしてはや30年近く経ちました。
瞑想やヨガの先生などには比較的いらっしゃると思うけど、
こういうことを長年継続できている人は
一般の日本人で、宗教無所属者には、
あまりいないのではないでしょうか。。。
この点の日々の継続においては、唯一自分を認めて褒めている部分。笑
こうしているからこそ目に見えない波長の部分では、微細に鋭敏に感じられるようになっているし、
浄化もできていると感じています。
他とは比較できない点でもあるけれど。
私は一般的な人間だけど 、
中学に入り悩みやすくなり、高校生の頃、悩むと本屋の哲学、精神世界のコーナに頻繁に通うようになり、
大学進学に悩んだ時には、父親に「お前は哲学だ」と言われ、
親戚に「人間可能力開発講座」というセミナーに誘われてはじめて壮絶な感情解放を経験しました。
今思えば、開発されたのは私の場合、内面的な波動部分だったのかもしれない。
けれど、誰にも見えないから発表することもできない部分でもあります。
そして、東京暮らしをはじめてからもなぜか導かれ、
20代で退行催眠をはじめて経験し、
30歳からエネルギーワークを学びはじめ、
瞑想とベジタリアンを比較的しっかりと継続した結果、
波動やエネルギーを感じる力が徐々に強くなっていて、
多くの人の価値観とは少し違うところにいるのを感じるようにもなりながら、
一方ではファッションの世界でお仕事をさせていただき、
たくさんの美しい世界をみせていただくような贅沢な経験もたくさんさせていただいた。
ベジタリアンになって10年経ち40歳になった頃、
ファッションのお仕事をさせていただきながらも、
欲望のまま突き進む世界には戻れないことが何度も虚しくなりました。
かといって欲が消えたわけでもない。道が中途半端に感じることが増えて、
ベジタリアンと瞑想をはじめたことは失敗だったかもしれないとも度々思いました。
とても孤独でもあるし、現実の多くの人が向かっている物質的なことが目的でもなく、
そういう世界が羨ましくまぶしくも見えながら、そちらの方への努力に正面から向き合うことに共鳴ができない。
世界と違う方向を向いているかのようでもあり、
いつも自分が間違っているかもしれないと落ち込み、
その度にそのことを自分に問い、瞑想をすると、
自分の心身と精神はとても軽く心地よいと感じ、
やはりこの生活を続けていくことしか選択はありませんでした。
時に数少ない友人や家族がそんな私を許容してくれることに心底感謝ができることは
何よりも幸せです。
誰でも、食べ物や、食生活を菜食にして瞑想やヨガをすることを継続すると
そうなるといういい例かもしれません。
でもほとんどの人は興味程度で途中でやめてしまうか、
適度な方法を見つけています。
そんなことしなくても幸せと思う人の方が多いし、
それにもまさる才能があるからかもしれません。
他人にとってはさほどの価値もないかもしれません。
こういうことしていると、現実的な成功や物質的欲望と離れていくから、
やめておいた方がいいと思う人もたくさんいるでしょう。
私もまだ30年弱の実践程度の道途中なので、仕事や生活と精神性の塩梅を
探っていて、人に勧めることはしてません。
ただ、物質欲に満たされすぎてしまう事象の中には、
不安症、精神障害、ケモノ系の憑依などをかいま見ることが多くあります。
今の自分の中にも、エゴはあるし、変な性格はなかなか変わらないという反省点を除けば、
いつも内側には空白があり、何も大したものを手に入れていない、持ち物への強い執着もなく、
とってもささやかながら日々の生活と仕事の継続は力なりで、
この年齢になっても道の途中にいられることは
かえって幸せに感じられたりもします。
幸いに今の時点では、精神障害や不安症がないこと、瞑想中の至福感
自分の毎日に嘘がないこと、嘘をつかないこと、
自分の信じたことの実践、生活と仕事の継続ができていて、
私を理解してくれる旦那さんと母がいることは
本当によかったと思う点。
身体的には、
ガン遺伝があるので、本当はもっと食べ物の摂取は減らさないといけないなと思うし、
ガンになる確率は高い。でもまぁそれで自然に死ぬのも悪いことでもないと思えるようになってきた。
今はガンにならないように気をつけてはいるんだけど。これから先はどうだろう。
物質的成功にもバランスの取り方を極めながら向かいたい。
そこを目指すということについてはまだまだ努力不足。
そんなこんなで日々の訓練や食生活の積み重ねから、
その人との相性や状態、
状況によるのですが、
他人をみると6−7割くらいは、どこをどうすれば良いかわかる能力が出て、
カウンセリングもしています。
より長く付き合うとさらに生活がわかるので、もっと的確にわかるようになる部分があります。
旦那さんも結婚後には、だいぶ皮膚や肌荒れなどが改善されました。
旦那さんと母には、時々ヒーリングをしています。
旦那さんは職業柄の目の疲れ、電磁波を取ることをしています。
とは言え、ヒーリングの場合、自分は全く無意識状態で
手を当てると、上からシャーーーーととっても微細音がして、
それがただ私を伝って上空から流れてくるという感じで、自分ではその効果があるのかどうかはわかりません。
(旦那さん曰く「えりちゃんはやっぱりヒーリングがすごいよ。」とその度に言ってくれます。 )
母のことの続きですが、、、
私の判断で、今まで長年田舎で毎日飲んでいた10−8錠ほど血圧の薬や精神安定剤を
思い切ってやめて、カルシウムの薬だけにしました。
思い切って止めることは大事な決断でした。
幸い育った環境のせいか、自然治癒力という信念が私の根本にあったし、
(でも西洋医学も半分は信頼している )
ネットでみつけた自然派の漢方医の先生のブログに
「高齢になって血圧を下げる薬を毎日飲んだいると
痴呆がどんどん進んでしまう。」
という記事を偶然見つけ、自分の思いも明確になり、
思い切れました。
もし母が血圧の薬を飲まないせいで
なくなっても、それなりにそういう年齢だともも思えたし、
でもきっと母も自然治癒力を信頼するだろうと思った。
そして、母はバターやパン、洋菓子が大好きだったのだけど、
車椅子になり運動量が激減したこともあり、
母に説明をしてできるだけやめて、
特別な日に美味しい洋菓子を食べることにしました。
私「なぜガンが、再発したのかわかる ?
自分の食生活のせいだよ。自分の責任を自覚してね。
バターとかお菓子とか食べすぎてたんだよ。自分の責任だよ。
だからこれからはパンにはバターは塗らないよ。」と。
母はもともと管理栄養士なので、自分の体に良くないものを私が説明したら
すぐに納得した様子でした。
私の説明から自覚持つようになり、自分の体に良いものを好んで積極的にたくさんとるようになっているのがわかりました。
全部をいきなりやめるとそれもストレスになるので、
割合もその時々抜いたり与えたりを考えるようにしました。
割合、無理しないさじ加減、いい塩梅を考えるのが
私はとても得意で、ベジタリアンも長年継続できています。
日々の野菜の種類をたくさん増やし 、(主にお昼ご飯)、
果物を多くとり、野菜と果物のスムージーを飲み、
ネットで調べて良さそうだなと思った漢方をのみ、
感覚で日によって飲む種類を変えて、
時々ヒーリングをし、肩や手、顔のオイルマッサージも
思いついた日には施すように心がけました。
そんなこんなしているうちに、母の乳房の大きくなっていたシコリが消えていました!!
「お母さんわかる ??突起がなくなってるね」
母はうなづいた。
「前より気にならないでしょ ?」
母「うん」
その成果を観るために、
1年半ぶりに病院でエコー検査をしたら
ガンは1センチも小さくなっていて、
お医者さんもとても驚いていました。
先生は、
「すげーこの薬でこんなに良くなるんだ!!」と
おどろいておられました。
いい先生で、私の言っていることを聞いてくださったことも幸いでした。
私は「母は薬に弱いので、強い薬を使わないで、なるべく自然に近い薬にして緩和ケア的にしてほしい」と
お願いして、ホルモン剤を処方していただいて、
でも、毎日飲ませてみると、薬が軽いとは言え、躁鬱はひどかったので、
人生終盤であるのに、毎日こんな躁鬱に時間を使っているのは勿体無いと思って、
そのホルモン剤を2日に一度に減らして処方してみたら、
それでも効果はあったのです。
母には比較的大きな胆石もありますが、いまのところそちらも全く問題にはなっていないし、
乳がんも消えたわけではないけれど、小さくなって、
いろんなこと母に試したことで病状が良くなりました。
とは言え、老化は少しずつ進んでいます。
母に育てられ、小さな頃から栄養について教えられ、食べ物を選び、
母に教えられたいろいろなことが
わずかではあるけれど、娘の実になり、
やがてそれが母への介護、看護という形で
戻っていった。
それは良いかたちで巡りになっているのを実感できました。
カウンセラーヒーラーとしても
良い成果です。
だいぶ前から思っていることではありますが、
日本でも小ー中学くらいから
瞑想、ヨガ、栄養学などを学んだ方がいいと思うのです。
そしたらヒーリング的な力も誰もがクリーンに保てるようになると思うのです。
そういうお医者さんが増えたら、病気がすぐに治るようになって
病院がいらなくなって儲からなくなるかもしれませんけれど。
最近は、若い方には精神性が自然と身についているバランスが良い方々が多くて
本当に頭がさがる思いですし、驚きます。
世の中がこれから本当に良い方に変化して行くのだろうと思うのです。
長くなりました。
まだ2年半弱ではありますが介護のこと、
母のがんの改善のためにしてきたこと。
生活やセラピー、瞑想や食生活のことを
本にまとめられたらなと思います。
親が急に老いてしまうときは誰にも訪れるし、
かわりゆく様をどう受け止めたらいいのか。
そんな時に迷う人も多いと思うし、
自分の体調が変わって行く中でも
何を選択して食べるか、
瞑想や食生活でどんなふうに自分を変化させていけるかなど、
50代の変化の時のヒントになるようなことが書けたらなーと思います。