この年齢になり、ますますいろんなことが明快につながってきたのでここに書いておこうと思います。
長い間仕事させていただいていて、まったく別と思っていた、スタイリスト、セラピストのお仕事が、じつは繋がっていたのでした。
自分探求はじめてはや40年近い?
60歳まじかになり、自分の中で細ーい糸がピンと繋がり、
驚きとともに喜びと感謝でいっぱいです。
さまざまな出会いによって、糸、意図、がほどかれるようにわかってきたこと。
家族、そして出会ってきた皆様に心から感謝申し上げます。
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わかってきたこと。
実家は深根城という城跡です。
我が家鈴木家は分家、お隣鈴木家が本家であることくらいで、
先祖代々が武将だとか、末裔だとかという特別素晴らしい話は調べても出てこなく、
わたしの軽すぎる分析によると、お宮さんがあるので、そこの神主さんだった人が、この土地を受け継いだか、
または、家来の中でここを受け継いだ人がいる、そこへ、養子がきたり、婿がきたりしながら、
本家も分家も代々受け継がれてきたので、そのおおもとはわからなくなっているのではないかと思っています。
兄はある時期からお宮さんの掃除をマメにするようになりました。
で、ある時「「白山比めのみこと」の御神体をみつけた。」と話してくれたことがありました。
白山比めのみこと様は調べてみると、石川県の能登の白山の神様。
もしかすると、誰かがその御神体を石川県から運んできたのかもしれません。
我が家は石川県とは今までご縁がない。
コーヒー豆を能登から何年も買っていることくらい (笑 )
白山比めのみことさまは、
熊野大社にも祀られているという。
熊野大社は鈴木発祥の地であると言われている。ー我が家も本家も姓は鈴木。
熊野で徳川家康の家臣だった人が鈴木という姓を名乗ったのがはじまりで、
神社に祀られている木鈴から鈴木姓がはじまったという有名な話があります。
その熊野は、
旦那の父方が和歌山県の熊野の新宮出身ということでつながります。
さらに、この話からはだいぶそれますが、
旦那の両親の名前は、母の弟2人の名前と同じであるというシンクロ。
さらに、我が母は白山比めミコトの別名菊理姫のきくという読み仮名できくこという名前がついている^_^
というところまでは、不思議なシンクロをしています。
この後、
今年、最近になってわかったこと。
旦那さんが、数年前から、
この深根城の実家で味噌作りをはじめ、味噌工房の見学に、仕事関係者の皆様が立ち寄ってくださったのです。
その時にわかったこと。
深根城の川向こうに龍巣院という小さなお寺があるのは昔から知っていて、
ちょうど深根城と対角線上にあることには意味があると聞いたこともあったのだけど、
すっかり忘れていました。
6月に旦那さんが仕事関係者様方を連れていったお寿司屋さんのお婆さんが、
龍巣院で、深根上の歌を歌われている方だった!!
それも、仕事関係の方が「この人は深根城で味噌作ってる人だよ」という話を、下田のお寿司屋さんでしてくださったことで、
お寿司屋さんのおばあちゃんが、「えっ深根城 !?」となって話が繋がったのです。
旦那さんが、このうたを歌うお婆さんに見せてもらった本が、「上女尊御和讃」
というお経 ?、神代文字のようなものが書かれている本でした。
そう言えば、何十年もまえ、母が伊豆で死にそうになって入院している夜明けに、
白装束がやってきて、「いまに楽になりますよ」と言って去った後に
急に元気になったと話していたので、
もしかしたら、白装束の方は、幻想ではなくて、
このおばあちゃんだったのかもしれません!!
というのは、わたしの勝手な推測^_^
ということで、「上女尊御和賛」と書かれていた本をみせていただき、
お宮さんで、白山比咩の御神体が見つかっていたことを思い出したので、
改めて白山比咩、菊理姫についてネット検索をしてみました。
白山比咩、菊理姫は、イザナギとイザナミの仲裁をした神様であり、縁結びの神として知られていることの他に、
なんと!!
衣類を作り、天照大御神様に献上していたこと、シャーマンであったことが書かれていました。
昔、海外の、著名なヒーラーさんと、
世界的なエネルギーワークの師にエネルギー状態をみていただいたことがあり
わたしの守護について2人から同じ意味のことを言われたことがありました。
その守護のひとつは、このお宮さんの波動と
少なからずともつながっていることが理解できたのです。
この実家のお宮さんのククリヒメの御神体の波動が、
衣に関することと、シャーマンで死者と人をつなぐ役目をすると知りおどろきました。
そういう神様がいらっしゃって、その神様が実家のお宮さんに祀られていたとは。
わたしがスタイリストをしていながら、ヒーリングを学んできたことは、
まさに、この神様から与えられたお役目だったのかと。
白山比め尊を通して、
全く別のバラバラの仕事ではないのだと今理解できました。
かつアマテラスオオミカミ様に衣類を献上していたことを
自分の仕事に置き換えてみると、
すごすぎて、、、、
それくらい神聖な気持ちで仕事をするということだと受け止めました。
もし、旦那さんがわたしの生家でお味噌を作りはじめ、
そこに知人の皆様がお越しいただかなければ、
このことを深く掘り下げて気づくことはなかったと思うと、
本当にご縁がこの気づきに
わたしを導いてくださったことを感じられ深く感謝の気持ちでいっぱいになります。
ここで生まれてから、長い時間かけ、後数年で60歳というときに
ご縁がご縁に運ばれて気付かされたことです。
現在はわたしは介護をしながら、スタイリストの仕事も少しだけしています。
ファッションは環境汚染の大きな問題になっているので、
新しい洋服を買うことも最小限にして、
自分の服は古着屋で探して買うようになりましたので、流行を追うことも全くなくなりました。
でも、スタイリスト、衣に関する仕事とセラピスト個人セッションを
神様のお仕事と思ってさせていただいて良いのだと思うことができました。
旦那さんとのご縁を作っていただいた友人にはいつも感謝なのですが、
旦那さん、そしてこのことに気づくきっかけを作っていただいた
旦那さんのお仕事の関係者の皆様、
友とその友人をわたしに紹介してくれた亡き友人たまちゃん。
そしてわたしをここに産んでくれた両親。
みなさまに感謝の気持ちがいっぱいです。本当にどうもありがとうございます!!
これからも日々精進。
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これはわたし個人の話なので、
いったい何を言ってんだという感じ ? ?
自分の生い立ちや、両親の歴史、ご先祖さまや、神社との関わりなど、
深く深く時間をかけて自分の魂が選んだ環境を掘りさげて、小さなシンクロを見つけ続けて
それを大切にしてきた結果、
自分のことがよく理解できるようになってきたのです。
なぜ、この両親から生まれたか?
なぜここに生まれたか?
なぜこの仕事をしているか?
旦那さんとの出会いと結婚のこと。
誰でも、この意味があるような、もっと突き詰めたら全く意味がないかもしれないような、
今世の魂のルーツを少しずつ探求すると、一番よいタイミングで
その意図がひもとかれるときがある。
八百万の神様と言いますから、きっと全てが繋がっているのだと思うのです。
いきなり原始仏教から神道的なものの見方に変換していますがこれが自由にできるのも
日本人のいいところ。
特別なことでなく、日常であり、
小さくてとても静かな自分の魂のこと。
外側の欲のつながりから完全に抜けて、
自分の魂の奥に入っていくことにひたすら時間をかけると
いろんな小さなシンクロがたくさん見つかって
それが自然につながっていき、結局今までの出会いに感謝が
溢れてくるようになっています。