この間松濤美術館で出口なおさんの筆先を拝観することができたのを機に、思いたち、前から行ってみたかった岡本天命さんに日月神示が降ろされた麻賀多神社に行ってみました。
ひっそりと佇みつつ、思っていた以上に気持ちの良い神社でした。
樹齢1400年近くと言われる関東一の大杉が壮大で素晴らしかった。
境内の裏にある天日津久神社にも「何か」を感じました。
++++++++++++++++++++++++++++++++
同時にこの数日強く思いはじめた女性エネルギーのこと。
男性女性関わらず、男性エネルギーと女性エネルギーはすべての人の中に所有しているもの。
頭で考えることは男性エネルギーを使用している。
女性エネルギーはハートや子宮から。
秋分の日にアート鑑賞をたくさんさせていただき思ったことがありました。
有名だからとか、賞をとっているから素晴らしいとか、すごいものだからとか、そういう風に頭で理解してものを評価するようなことが自分には一切関係なくなっている。今まで以上にそうなっている感覚に気がつきました。
いいものはいい、美しいものは美しいことは普遍的ですが、あらゆる人の手に渡り資本主義の中で保たれたオーラをまとってしまっているものは、その凄み厚みを持ってしまい、それがかえって今という時には、重々しく感じられることもあるのかもな。
無名であっても、作品のまとっている空気感の新鮮さや清々しさ、自然の息吹や香り、繊細な迷いや未完成さや弱さなどが素直に伝わってくる作品が、とても新鮮で美しいと思ったり、むしろ技術ではなく、純粋な空気感が今は好きなのだなと、色々拝観できた後にあらためて感じました。
男性エネルギーは、形や数にこだわって判断比較したり、競争したり、情報から得た知識でものを見たり、力でおしはかったり、過去から積み重ねてきたすごみで自分をみせたり、古い形にこだわり続けることに重点を置いたりという力みのエネルギーを多く使うのです。
むしろそういうものがすっかり浄化されて、感性が形を作らない、そこにとどまらない、過去から積み上げてきた型の塊ではなく、女性エネルギー、慈しみや慈愛、愛、調和、母、評価や形、結果にこだわりのない軽さ、柔らかさ、暖かさ、いつまでも変化し続けるような、透明性のある世界。そういうエネルギーの世界に移行していくようにアートをみて感じることができました。
そうなってくると、評価もあってないようなもの。それぞれが何を好きかということももっとバラバラで自由になっていく。
まだまだ情報に囚われすぎて自分では決められないという人がたくさんいるかもしれないけれど。
それでも少しずつ古い社会の構造は自然崩壊と比例して崩壊しつつあって、これから自然が崩壊に向かうと同時に目覚めもおきて、その中で皆自由に生きていくってことなのだろうなぁ。
最近よく思うのは、自然の摂理で何千年何万年に一度の地球の変化が今起きているけれど、宗教やスピ系の人が言う未来が本当かどうかは誰にもわからない。
今までも、何度も色々言われてきたことを思うと、本当のことって実は誰にもわからないんだなと思うのです。
その大きな変化の時を利用して、人々を集めて感化し集金する人たちはたくさんいる。
とてもいい学びがたくさんあるし、物にお金を使うよりゴミにならないし、身になることはとても多い。
けれど、本当のことは誰にもわからないと私はいつも思っているし、「全部嘘だと思ってください」という言葉を今でも一番信頼しています。浄化をしていると、いろんな思想に感化されます。
ある宗教家の方が神道は一番高い波動のところにあると言われていたのを読んだことがあります。
それが真実かもしれないけれど、本当かどうかはとうてい私にはわかりません。高いか低いかということを言う時点で、すでに三角形の構造の中でこだわっているようにも思え、それが真実であったとしても、もしかしたらそれは古い信念で、やがて崩壊するのではないだろうか ?と私なりの疑問が湧きましたし、もはや高いからそこにすがると言うことは、自分からずれていくことでもあるとも思いました。偉そうですみません。
私は今どれほど未熟かはわからないし、まだまだ学びたいことがたくさんありますが、これが私の今世なので、命がなくなるまで、日々新鮮な気持ちで軽く柔らかく生きられるように永遠の浄化に励もうと思います。